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夜闇のなか、浮遊砦は音もなく走る。どこに向かっているのか。

砦のあちこちに灯された篝火。ときおり爆(は)ぜた火の粉が、風に遊ばれクルクル舞う。
赤い火の粉とともに、無数の白片がうねり舞っている。海風のメモ。
いや。違う筆跡の紙も舞っている。その数がしだいに増している。

御津流は砦の裏庭にいた。
碇を落とす井戸のそば。海風と智庵のメモを外壁に並べ留め、数歩下がって眺めを繰り返しながら、ぶつぶつ呟いている
「第1段階は感情。生理的。第2段階は感情の整理。理性が感情に作用。第3段階・・・難しいな。調和か、戦いか、無関心か。第4段階は静寂、と。パラメータは感情と理性にして・・・」

キィは砦の横手にいた。
階段状の観客ベンチがぐるっと巡らされた、テニスコートのような空間。その一角に陣取り、キィはポケットから握りこぶしほどのキューブを取り出した。
「人または異文化には六つの側面がある-外見、言語、外交1&2、内政、治安。それぞれに5段階の評価が加えられるとする」
キューブを高く掲げる。闇をはらい、キューブが輝きだした。
「まずはAステージ。人は他の多様な思想思考の存在を肯定し、自己の発展と成長を望んでいる。進行方向は右へ!」
キューブをコートの中央に放り投げる。キューブは輝きを空間に焼き付けながら、ひとつの傾斜面を描き始めた。よそよそしい他人の平地から、尊敬の高みへと昇りゆく斜面。
コート一面がキューブの軌跡で埋め尽くされたところで、キィはキューブを手招きした。コート面がリセットされる。キィはふたたびキューブを掲げる。
「次はBステージ。人は他の思想思考の存在を否定し、自己中心的である。進行方向は左へ!」
キューブが第二の傾斜面を描き始める。互いに敬意を払うライバルの丘から、互いを支配し隷属させようと攻撃する奈落の谷へと沈みゆく斜面。

海風は砦の正面にいた。閉じた跳ね橋門の壁の上に腰掛けている。
さきほど覗いてきた美津流とキィの思考風景に刺激されたらしい。壁から見下ろしたグラウンドには、棒切れでガリガリと引っ掻き書かれた文字。
コミュニケーションのドライビングフォース
指で空間に十字を切る。
「理論軸・・・尊重、そして軽蔑。感情軸・・・共感、そして反感」
宙に生まれた二つの軸を、グラウンドに投射する。地面が四つの領域に区分された。
「そこは共存。左は儀礼的無関心領域か。その下はもちろん対立。右下は・・・あ、同化圧力か」

おのおの、なにかを考えつくたび、三者は自分のメモを、砦をめぐる風に投げ入れる。
さらに、三つの場所を忙しく巡る智庵が自分のメモを加えていく
刻々と増えてゆくメモ。白い突風が砦を時計回りに巡る。砦の中心に立つ物見櫓は、まるで台風の目だ。
吹きすさぶ嵐のなか、御津流の声が響いた。
できた! 知りすぎ線、てのも入れてみたよ
続けてキィの声。
「よし。こういう平面図もいけますね。ふむ、知りすぎ線・・・では、キューブ軌跡面の修正案を」

さらに海風の声。
「やっぱ3次関数の曲線にしたいなー。格好いいし。よっ!
虚空を指さし、なにごとか呟く。物見櫓を前にした空間に、なだらかな傾斜曲面が現れた。

夜が明けてきた。白む空。下界の様子がすこしづつ浮かび上がる。
どこまで流されてきたのか。砦は誰も見たことのない丘陵地帯の上空に浮いていた。

櫓のてっぺんで羽を休めていたクチダケ鳥が、突然クチを開いた。
「海風はん! うちもいっちょ案があるねん。その交流曲面、使てもええか?」
「いいけどー。どうするのさ」
「その曲面、穏当すぎるわ。人の交わり合いてぇのはな、どこぞにボコボコ穴が空いてるはずやねん
「えっ! それって・・・僕が最初考えてた・・・」
「せや。外、見てみたらええわ。ちょうどそこにあるで。おおーきい穴がな」
海風は風に変じて上空に飛んだ。
智庵・御津流・キィの三人は、急いで跳ね橋門を降ろした。空に突き出した橋げたの上から下界を見下ろす。

一見ならだかな丘陵地帯であるのに。
砦の前方には、蟻地獄のような穴が口を開けていた。

キィが、ひとときも離さなかった三脚と何かの器具を構えた。どうやら、地形を測定する計測器だったらしい。
器具のレンズにじっと目を当て、やがて、低い声で呟いた。
「そう、間違いない。あれこそが・・・恐怖と憎悪、攻撃と支配の空間・・・Bステージへの入り口です」





異文化交流議論の最初のテーマであった「コミュニケーションの体系図」。海風氏・みつくる氏・きーさんとchargeup氏が触発しあいながら、とても面白い考察記事が多数生まれました。2006年12月の記事群です。
 ◆異文化交流議論リンク集-コミュニケーション体系図 (※タグ[*コミュ体系図])

体系図を描いているときには、誰も予想しなかったことがあります。この記事で言う「Bステージ」、つまり対立的・攻撃的・排斥的である交流形態に関する考察こそが、異文化交流議論の核心であったということです。

異文化交流議論は中盤から、「自尊」「宗教」「差別」という非常にネガティブにしてシリアスなテーマに移ります。
Bステージへと続く穴を察知し回避することはまだ容易いが、BステージからAステージへ戻る道を知ることはたいへん困難です。しかし困難だからこそ、書くことによって議論することによって道を探る価値がある。私はそう感じています。
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07/21|浮遊砦コメント(6)トラックバック(0)TOP↑
この記事にコメント
コミュニティの解放
今の流れで戻るのは難しそうです。
この小説が終わった時が、この議論をいったん締める時かなと今のところ考えています。
ラストは同時進行になりそうです。
From: chargeup * 2007/07/21 09:32 * URL * [Edit] *  top↑
>chargeupさん
おのおの書きたいように書こうと、なんの制約も無く始まったのだから、この流れのまま戻らずに(戻れずに)議論終了というのもアリですな。よくここまで続いてるなというのが正直なところだし(笑)

>書くことによって議論することによって道を探る価値がある
ここでいう「議論」は、異文化交流議論のこと(だけ)ではないんです。
異文化交流議論じたいがひとつの「引数」となって、どこかの誰かに(私たち自身も含めて)受け継がれていくことを、私は期待しています。

そのために、「浮遊砦」を始めたのねん(・∀・)
From: わたりとり * 2007/07/21 11:04 * URL * [Edit] *  top↑
私自身はこの次の「第四論考」”作られた他者、作られた自己”で自分自身の「第一部」を締めるつもりです。で、その時にわたりとりさんがここでおっしゃるステージAにもう一度立ち返ってみたい、と考えています。

差別や偏見の問題は、具体例やケース・スタディの濃厚さにしばしばやられてしまって書くのがストップしてしまいました……ひょっとしたらここの流れとは大きくずれて長々と書いていたりするかもしれませんが。

そしてその次の自分のテーマは「景観論争から見る”京都”とは」を考えています。

先頃京都市の景観に関する条例が強化され、私と交流のあるブロガーさんが記事にされていたのですが、記事・コメントとも、言ってることは全然間違いではないのだけれど、私が大学を卒業して就職するまで23年と数ヶ月過ごしてきた「京都」への視点についてどうにも引っかかるところを感じています。

そこで書かれている「京都」は、それこそ私が産まれ育ってきた「わたしたちの京都」(これ、小学校の時のテキストの題名でもありますが)と微妙にずれている。そのズレはどこに発するのか……どういうものなのか、を次に考えていきたいと思っています。

「京都の景観」って、「異文化理解」のテーマなんですか、とかのブログ主さんには言われてしまったのですが……ええ、まさにこれは「異文化」の問題なのですよ、の再説明も兼ねてやってみたいと思っています。

すみません、長々と書いてしまいましたが……改めて思うのは、「原点」としてのAステージの再確認です。
From: o_keke_nigel * 2007/07/21 14:46 * URL * [Edit] *  top↑
>ナイジェルさん
では私も長々と書きますぜ(・∀・)

主要メンバーのブログを見ていると、議論テーマがBステージに流れ停留していることは、自然のなりゆきだと私は思っています。理由は・・・

世間で需要のある「コミュニケーション論」とは、要は「人(あるいは場、組織)にいかに好かれるか・認められるか論」ではないかと私は思っています。他者あるいは共同体から認知される・受容される・高く評価されるために必要なコミュニケーションテクニック、と言っていいかもしれない。まあたしかに、そういうスキルがあったほうが生き易いので、悪くないテーマだとは思いますが・・・・

私たち(異文化交流議論メンバー)の興味は、そこには無いのです。みなさんのブログを見てそう感じます。
他者との衝突をできるだけ回避しながら、いかにして「自分の立ち位置」を他に明らかに示してゆくか、「自分の文化」を豊かにしてゆくか・・・私達が求めているのはそういうコミュニケーションではないか。
そして、本来この作業は、Aステージで行ってゆけるはずだし行ってゆくべきことなのですが、マジで実践すると突如としてBステージに落ちる危険があるんですね。自分勝手だとか、理解不能だとか、社会のお荷物だとか言われて。日本社会(世間?)では。

そういうわけで、私はBステージの考察は必然、と感じています。そしてまたナイジェルさんが、Aステージを「原点」と仰る意味も、わかるように思います。
私がいま書いている記事群は、B→Aステージ回帰の試みです。

>その次の自分のテーマは「景観論争から見る”京都”とは」を考えています。

実は、私にとって京都はかなり身近な土地でして。
景観論争を「異文化」の問題として語るとは・・・興味深いです。記事を拝読できる日が楽しみです。
From: わたりとり * 2007/07/22 00:53 * URL * [Edit] *  top↑
理由
はっ、そういうことでしたか。説教族と対話がかみ合わなかった理由。
そういえば使われるキーワードが激しすぎるという話を書いたことがありました。

どうしても、世間一般に認められるということには、自分を殺さなければならないというネガティブなイメージがつきまといます。コメントがうっとうしくても相手に悪気がない限り我慢しなければならないとか。世間との関わりにおいてどう妥協していけるかは、私の大きな課題です。

ラストまでにAステージに戻れるでしょうか。
From: chargeup * 2007/07/22 14:58 * URL * [Edit] *  top↑
>chargeupさん
私が宗教をテーマに書いているとき、「コミュニケーションのコード(の違い)」というキーワードを掴んだ。あれは大きかったと、今、思います。Bステージに正面きって降りたからこその収穫でした。
chargeupさんのところで繰り返される摩擦(対立)も、コードの違いによるところが大きいと思った。(要因は、それだけではないですが)

対立ばかりしてもいられないから、妥協というか我慢はどこかで必要なんだけど、やはり、マイノリティのみが苦しさを引き受けなければならないような交流形態は、歪んでいると私は思います。
誰だって、マイノリティの側に立つ可能性を持っているのだから、そういう歪みは黙って呑み込まずに表に叩き出したほうがいい。せめて、表現と言論の世界でくらいは。

ラストまでにAステージに戻れるかどうかは・・・うーん、無理はお互いしないでおきましょ。できたら、戻れたらいいですな(笑)
From: わたりとり * 2007/07/22 23:36 * URL * [Edit] *  top↑
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