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2007年2月26日から、Y!B転載機能の仕様が変更された。
今回の仕様変更は「機能の改善」と呼ぶにはドラスティックな内容だった。改善点をひとつひとつ比べ語るより、刷新された機能と捉えてゼロから考察したほうがスッキリ整理できそうなので、やってみます。

現在のY!B転載機能は、こういうモノだ。
(1)記事作成者が「転載させてもよい」と意思表示した記事を、
(2)Y!Bブロガーであれば、誰でも無断で転載できる。(が、新たな転載源になることはない)
(3)転載記事には、オリジナル記事へのリンクと発信ブログ名が表示される。

とりたてて問題はない、
・・・と言い切ってしまうのは、旧:断固撤去派としてはマズいでしょうか?
では、Y!B転載機能(改名)連載第1回。【転載ボタンの位置づけ】について考えてみる。

新仕様からは、「転載ボタン=転載許可の意思表示」と見なして良いと私は思っている。
理由は以下の二点。

◆記事作成者が能動的に「転載可」にチェックした記事にだけ、転載ボタンが表示されるから。
転載させるつもりのない記事には、転載ボタンは出ていない。(※注1)

◆再転載不可になり、記事作成者が自記事の転載量の上限を予測しやすくなったから。
Y!Bユーザーの多くはサイドメニューに「統計(自ブログの訪問者数やコメント数など)」を表示させているし、ログイン状態でY!Bトップページに入るとその日のユニークユーザー数が表示されている。たいていのブロガーは、自記事の分野と定期訪問者数をもとに、だいたいの転載数を予測できる。転載数が多いケースでも、自ブログの定期訪問者の1割を超える転載量は稀だろうと私は推測する。
※大量転載のメッカ「素材配布系ブログ」については、別に捉えるべきかもしれない。

記事作成者は転載量についてだいたいの予測を立てたうえで、自分の意思で「転載可」をチェックしていると想定して良いと思う。その結果が転載ボタンの出現なわけだから、「転載ボタン=転載許可の意思表示」と見ていいのではないか。転載の条件が示されていないならば、無条件、つまり無断で自由に転載してよいのではないか。
(もちろん、一言挨拶してオーナーと交流したい、という転載者の繊細な心遣いは良いものだと思う。そういった交流のありかたを軽視するつもりはない)

転載の条件を付けることは記事作成者の自由だが、「全ての条件が誠実に守られるべきだ」とは私は思っていない。条件の内容によりけりだ。

たとえば「転載するさいは非公開書庫へ」という条件、これは再転載が可能だった旧仕様では大きな意味があった。著作権法っぽく(あくまでも、っぽく)言えば「複製は許可するが複製権の放棄はしません」ということだろうし、自記事の頒布量をコントロールするために有効な条件だったから。こういった条件は大切なもので、記事作成者への配慮として転載者は守るべきだと思う。
(※ただし、新仕様からはあまり意味のない条件になった)

一方、「転載のさいはコメントを」「トラックバックを」「記事への感想は元記事へ」といった条件は、お願いレベルというか、仮に守られなくとも「そりゃ、しゃあないで」と感じる。(※注2)

Y!B転載機能には、記事作成者に転載があったことを通知する機能がない。コメント/トラックバックせよという条件は、機能の不備を埋める代替案として考え出されたのだろう。条件を無視する転載者のマナーもよろしくはないが・・・「あんたが誰か教えてくれなきゃイヤだ」という条件には、拘束力というか、納得力(説得力ではない)が無いなぁとも思う。人によって転載許可/不許可を選り別けるかもよ、と言っているわけで、選別されるほうからすれば、かなーりイヤらしい条件だ。
感想は元記事へという条件は、「記事の評価は記事作成者が受け取るべきだ」という考え方から来ているのだろう。心情はわかるのだが、もったいない条件だなぁと思う。転載者が築いた人的ネットワークに載せたからこそ、新しい閲覧者・新しいコメント者がわっと増える。コンテンツが、記事作成者では築けなかった新しいネットワークに載って再評価される。そこが転載のいいところなのに(実は、私は転載機能のこの点を一番評価している)

転載にあたっての条件、というかお願い文で、「転載したらトラックバックしていただけるとありがたいです。転載先で自分の記事にどんな感想が付くか見たいから」といったことを書いているブロガーがいた。
こういう「お願い」はいいなと思った。希望の域を出ないけれども、記事に共感した転載者ならばきっと希望に添ってくれるだろう。転載許可者にとって意義があり、転載者にとっても納得できる条件だ。こういう文章をすらっと素直に書けて、転載許可記事にスマートに(リンクででも)配置できたら、いいねぇ。

そんなまどろっこしいことを言ってられるか、ひとつひとつの転載を自分の思うとおりにコントロールしたいのだ!!・・・という人は。
記事をデフォルト「転載不可」のままにしておいて、転載の申し込みがあったとき個別に「転載可」に設定しなおせば良いと思う。この人こそはと信用できるY!ブロガーからの申し込みにだけ、応えたらいいのではないですか。
それが煩わしいほど転載の申し込みがあいつぐ記事なら、よほど質が高いということだろう。ゴチャゴチャ細かいこと言ってないでバーーンと転載可にして「好きなように持ってってちょーだーい」とやってしまえばいい。気に喰わないヤツの一人や二人に転載されたところで、それがどうしたというのか。良い記事はどこに収まろうと輝いているはずです。自分が書いたものにやましさがないのなら、いいじゃないか。胸を張れ。自信を持て。(※注3)

なんとなくですが、そう思いました。




(※注1)
2/26以前の記事については、転載させるつもりのない記事が「転載可」であったり、転載元の表記が必ずしもオリジナル記事作成者とはかぎらない、という問題点が残っている。
しかし、ブログの過去記事はどんどん埋もれてゆくものだし、仮にそういった記事が転載されても再転載されることはない、一度かぎりのことなので、私はそう大きな問題ではないと捉えている。時間の経過が解決してくれるだろう。

(※注2)
トラックバックをこういう用途で使うのは、他サービスのブロガーには全く理解できないことだろうなぁ・・・閲覧者にとってはノイズなのだが、まあ、そういう流儀もあるということ。私が見かけたというだけで、Y!Bのなかで一般的な流儀かどうかは不明。

(※注3)
言うまでもないが「転載してください」といった文言が入っている記事は対象外。チェーンテキストの発生源になりかねない。
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03/16|Y!B 転載機能コメント(8)トラックバック(0)TOP↑
この記事にコメント
意思表示の錯誤
こんにちは。

すみません、もっとコメントを早めにしようと思っていたのですが…。

転載機能の仕様が変わって、「デフォルトOFF」になったのは実際大きいと思います。転載ボタンをデフォルトで表示させている従前の仕様では、転載の可否に対する意思表示が不明確でしたが、デフォルトOFFの今の仕様では「転載の許諾」について明確に意思表示ができるからです。これは著作権法の基本的な考え方にも合致しているかとも思っています。

ただ、それでも「元記事作者から事前の許諾」が要るのか要らないのかが不明瞭なままなのが気になるところです。

もし、「転載機能は使わせるけど事前に許諾を求めてほしい」と思っている元記事作者がいるとして、民法95条の「意思表示の錯誤」という観点からは、その意思表示が表意者の「重大な過失」にあたらない限り有効、ということになるのではないか、と思います。まして注意書き等で「事前に許諾を得てくれ」旨の文言が書かれていればもう意思表示としては「鉄板」です。

できればコメント認証制のようなものを選択できるようにすればいいのかな、と思ったりもするのですが、ここまで書いてきてふと思ったのは…「揉める事例」は本当は著作権法の問題じゃなくて、コミュニケーションの齟齬の問題なのかもしれません。で、何で対抗するかと言えば著作権のロジックを使う、といったところでしょうか。

私のリアルな友人でサイト持ちの人がいるのですが、以前その人の撮ったロータスV6ターボF1マシンの写真を自ブログで使わせて欲しい旨お願いしたところ…「ネットに上げた以上どこでどうなるかはコントロールできないからホントに好きに使ってくれていいよ。」とのことでした。また、その人は「ネットにアップして公開したものはある種の共有物みたいなもの」とも言われていました…いや私はそこまで「アナーキー」(爆)ではないですが…。

長くなってしまってすみません。
From: o_keke_nigel * 2007/03/21 12:05 * URL * [Edit] *  top↑
条件の書き方にもよるのかな、と
新仕様になって、著作権法上の問題は「転載ボタン=転載の許諾、かどうか」一点になったと私は思っています(まだあるかもしれないが、思いつきません^^;)

>注意書き等で「事前に許諾を得てくれ」旨の文言が書かれていればもう意思表示としては「鉄板」です。
そうですね。ただし、文言がそのように、明らかに記事作成者が自分の著作権を意識していると読み取れる場合は、転載者に伝わりやすいし法的な拘束力もあるだろうと思うのですが、「転載するときはコメントください」くらいの文章では難しいのではないかと。お願いなのか条件なのか、わからないですから。
権利を使いこなしたいなら、相手(転載者)がコミットしやすい表現を採るよう、記事作成者だって努力すべきなのかもしれませんね。

>「揉める事例」は本当は著作権法の問題じゃなくて、コミュニケーションの齟齬の問題
私もそう思います。
記事を「あげる/もらう」というノリで転載を使っている人と、「自分のコンテンツの発信」という視点で転載を使っている人、両者は同じ転載機能を使っていても、意識が大きく違う。
著作権をしっかり学び「自分のコンテンツの発信方法」を意識している人は、Y!Bの転載機能を使って記事をコピーされたくらいでは揉めないと思います。仮に転載ボタンを表示させ無限転載されたとしても、個人が非営利できゃっきゃ遊んでいるブログで、改変なしでコピーされてるだけ、「財産権」を侵害されているとは言いがたいものですから・・・(笑)
転載で揉める事例の多くは、複製権を侵害されたことへの怒りではなく、「文脈を断たれた自記事がひとり歩きする怖さ」に気づいた記事作成者が動転してしまったこと、に端を発しているのではないかなと私は思います。
From: わたりとり * 2007/03/22 08:26 * URL * [Edit] *  top↑
大人の会話だ
うらやましい。
あれ、うらまやしいだっけか?
うらやましい。うらまやしい。。
From: トンコ * 2007/03/23 00:50 * URL * [Edit] *  top↑
おとなのかいわは
すまーとにかっこよくみえますが、
おおかた屁のつっぱりだったりします。
うらやましがるほどのものではない。
(ナイジェルさん、御免!)
From: わたりとり * 2007/03/23 09:37 * URL * [Edit] *  top↑
>トンコさん
(A)他者の著作権に配慮し、かつ、自分の著作権も適切にコントロールするということと、
(B)他者の「記事」をたいせつにし、かつ、自分の「記事」もたいせつにしながら解放を目指すということ、

このふたつは、同一ではないと思いますよ。重なる部分も、もちろんあるけれど。
語るべきこと、議論するべきこと、そのさいに使われる言葉。(A)と(B)では違ってくるんじゃないかな。
From: わたりとり * 2007/03/23 19:55 * URL * [Edit] *  top↑
もうちょっと詳しく
(A)と(B)のこと教えていただけるとうれしいんですが。。まだピンと来ないんです。お時間のあるときに。
From: トンコ * 2007/03/23 23:54 * URL * [Edit] *  top↑
んーとね・・・
まだ私も感覚的なもので、ちょっと明確には言えないのですが・・・

著作権は法の定義上は誰の作品にも平等に適用されるから、「ブログの記事=著作物」です。だが著作権法の運用を見るほどに、あれは「完成された表現物」を想定しているように私は感じる。いったん公開されたら修正や撤回(公開をとりやめる)は滅多に行われないモノ、著作者自身がそう認識しているモノ。
労力をかけた完成度の高いモノだからこそ、財産権としてがっちり保護されている。一方で利用者は、法の要件さえ満たせば(といってもすごく狭い範囲だけど)、目的を問わずに利用できる。著作者は「違法な内容だから利用を止めてくれ」とは言えるが、「モノが不完全だったから利用を止めてくれ」という異議は唱えられないんです。引用と、Y!B転載機能を行使した事例を思い浮かべていただければ、わかるかと。

で、ブログの記事というのは「個人が作成した、きわめて不安定な(不完全な)表現物」なので、著作権法に則って語るだけでは充分ではない、と私は感じたわけ。

ブログは完全公開が基本だから、他者の「著作権」をきちんと理解し、充分配慮する必要がある。だが、記事作成者が自分の記事に強固な著作権意識をもつことは、気が早すぎるかもしれない、ということです(※著作者人格権は別です)

麦さんの記事群の流れは、この悩ましい問題をうまく整理されていたと思う。
【著作権問題INDEX】
http://blogs.yahoo.co.jp/mugi373/9966791.html
まずは、ブログという公開・公共のスペースでモノを書く以上は、ブロガーは著作権意識を高める必要があると論じ、そのための手続き(守るべきこと)を解説された。これは(A)のステージです。
それから、自分の記事をたいせつに創っていくという意識があれば、他者の記事をたいせつに扱う気持ちだって生まれるでしょうと書かれた。これは(B)ステージの話しなんですが、前出の(A)論を補強する効果もありますね。
ここでは、「あなたの記事だって著作物です、法律で保護されるべきモノです」という表現は採っておられません。
【自分で書く自分の宝】
http://blogs.yahoo.co.jp/mugi373/10416335.html
その後はてなに移られて、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスを利用し、ブログ記事を解放する手立てがあると提示された。記事作成者の側に立って、もう一度(A)ステージに戻ってきたわけですな。
【著作権の束をばらして使う】
http://d.hatena.ne.jp/webmugi/20061217/p1

(A)(B)ステージの重なる部分、異なる部分を考えるうえで、麦さんの記事群はとても興味深い。平易な表現なので、ステージ移動がシームレスですけどね。お見事(遠くから拍手)
From: わたりとり * 2007/03/25 03:34 * URL * [Edit] *  top↑
ありがとうございました
納得しました。

著作権法のもっとも基本的なテーマは、海賊版などのタダノリ行為からいわゆるプロの著作権者の経済的利益を守ることだと思います。それが文化発展という高次の目的に繫がる(はず)。ですから、アマチュアはもとよりプロの著作物であっても、非営利的な利用であれば著作権管理はより緩やかであっても、文化発展の目的に反しないし逆にそれにかなうのではないかと思います。

著作者人格権については、日本の著作権法がやや厳格すぎるきらいはありますが、財産的権利とは別の観点で、プロ・アマ問わず大切に守られるべきと考えます。
From: トンコ * 2007/03/25 23:35 * URL * [Edit] *  top↑
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