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メインブログとこのブログで、転載機能を扱った記事を20枚近く書いた。最初の一枚は2005年8月、直近の一枚は2007年3月、あしかけ1年半。
その間、自分の意見を書くことによって、他者の意見を読むことによって、転載機能に対する私のスタンスが次第に明らかになった。自分にとって譲れない原則は何か、他者に対して柔軟性をもてる幅はどれくらいか。転載機能というテーマの下であっても、正否どちらでもかまわない(関心のない)論点があることもわかった。

議論をとおして、私はいろいろ学んだなあと、最近あらためて思う。転載機能についてではなく。書くこと、読むこと、異なる価値観・異なる背景を持つ他者と交流すること。
いま、異文化交流議論をノベライズしているからかもしれない。

議論を「異なる意見を戦わせ正誤を判定する」あるいは「異なる意見を出しあうなかから合意点を探る」という狭義の意味で捉えるなら、私の記事群は議論とは呼べない。言及&リンクで活発にやりとりしていたブロガーから見れば、私のやりかたは、四方を壁で囲って独り言を呟いているようなものだった。

それでも。自分の意見を筋道を立てて表現し、発信し、自身のスタンスと思考とを明瞭にしてゆくとともに、他者の意見を読み、互いに言葉を交わすことによって、自分の思考をたゆまずリライトしていった・・・そういう「ブロガー」のかたがたの一端に私も加われたことを、嬉しく感じます。




以降、転載機能に対する私のスタンスを記録。

転載機能の危険性を以下のように認識している。
(1)素人の不完全な記事が、本人のプロフィール・過去記事との連続性を絶たれて一人歩きする。
(2)著作権侵害/名誉毀損/プライバシー侵害などの問題を含んだ記事が、転載・再転載(※再転載可は旧仕様)によって拡散し、当事者で回復不能の被害を発生させうる。
さらに旧仕様では、
(3)デフォルト「転載可」のため、転載機能の問題点を知らないユーザーの記事、転載させるつもりのない記事が大量転載されうる。
以上は、加害被害がリアルに波及しかねないこと、落ち度のないユーザーが大きなトラブルに巻き込まれかねないことから、機能を搭載したY!Bに向けて批判記事を連載した。

転載機能によって発生しうる以下の問題については、私は関心が薄い。または無い。
(4)記事作成者が望まない転載により、記事作成者の著作権(複製権)が侵害される。
(5)(4)に関連し、記事作成者と転載者が揉める。
私は「著作者人格権を甚だしく侵害し、なおかつ該当記事を拡散させる行為」を徹底的に批判したことがある。しかし、「営利を目的としない改変なしの複製」についてはもっと自由であって良い、素人のコンテンツについては尚更と認識しているので、複製権のほうはさして問題視していない。
揉めごとについても、当事者間で解決が原則であって、私に近しい友人が巻き込まれでもしないかぎり関心はない。

転載ボタンの解釈について。
「転載ボタン=転載許可の意思表示」かどうかについては、旧仕様では「どちらかと言えばNo」、新仕様からは「ほぼ間違いなくYes」、ただし使用者により見解が分かれる論点であろう。ユーザー間で見解を統一することは難しい。
記事に条件を記載することで、転載ボタンを「条件に沿った場合のみ使用してよい」と位置づけることは可能。ただし、第三者から見て「合理的な根拠がある」と判定される条件でなければ、仮に条件が守られなかったとしても著作権侵害を理由に転載許可を取り消すことはできないと考える(転載者のモラルを問うことは御自由に)。

転載行為の是非について。
転載許可者・転載者が互いに了解のうえで、本人たちの自己責任で転載することは仕方がない。記事の拡散によって発生した問題を自分の責任として引き受けられるならば、自由。責任を取れない・責任を取るという「意味」がわからないユーザーは、転載機能を使うべきでない。
誤情報・他人の名誉や権利を損なう内容が記載された記事が転載で拡散したさい、記事作成者・転載者が批判されることは当然。しかし転載行為そのものがいわゆる「幼稚だ」という論調によって、それのみを理由に批判されることには不同意。そういった論調は、機能の是非・行為の是非を論じたものではなく、批判者の優越感を表明したものにすぎないと認識している。

転載機能の利点について。
自記事を改変なしで広く発信することができる。コンテンツに共感した者達がつなぐ新しいネットワークに載って、自記事が再評価されてゆくという利点は大きい。
創作物(詩・小説・イラスト・写真など)や、専門家による確定した事実の解説文など、情報の訂正が起こりにくく記事単体で完結しやすいコンテンツにとっては、転載機能はたいへん有用。

転載機能に対する最終評価。
旧仕様については、デメリットがメリットを大きく上回ると判断。生半可な改善要望を出したところでY!Bが動くとは思えなかったため、主張を「危険だから撤去」一本に絞り、Y!Bを対象に批判記事を連載した。
新仕様からは、デメリットは残っているもののメリット面を優先できる程度まで危険度は下がったと判断。機能を撤去する必要はないと判断。今後、転載機能にまつわるトラブルは、機能ではなくユーザーの責に帰して良いと考える。
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03/31|Y!B 転載機能コメント(1)トラックバック(0)TOP↑
2007年2月26日から、Y!B転載機能の仕様が変更された。
今回の仕様変更は「機能の改善」と呼ぶにはドラスティックな内容だった。改善点をひとつひとつ比べ語るより、刷新された機能と捉えてゼロから考察したほうがスッキリ整理できそうなので、やってみます。

現在のY!B転載機能は、こういうモノだ。
(1)記事作成者が「転載させてもよい」と意思表示した記事を、
(2)Y!Bブロガーであれば、誰でも無断で転載できる。(が、新たな転載源になることはない)
(3)転載記事には、オリジナル記事へのリンクと発信ブログ名が表示される。

とりたてて問題はない、
・・・と言い切ってしまうのは、旧:断固撤去派としてはマズいでしょうか?
では、Y!B転載機能(改名)連載第1回。【転載ボタンの位置づけ】について考えてみる。

新仕様からは、「転載ボタン=転載許可の意思表示」と見なして良いと私は思っている。
理由は以下の二点。

◆記事作成者が能動的に「転載可」にチェックした記事にだけ、転載ボタンが表示されるから。
転載させるつもりのない記事には、転載ボタンは出ていない。(※注1)

◆再転載不可になり、記事作成者が自記事の転載量の上限を予測しやすくなったから。
Y!Bユーザーの多くはサイドメニューに「統計(自ブログの訪問者数やコメント数など)」を表示させているし、ログイン状態でY!Bトップページに入るとその日のユニークユーザー数が表示されている。たいていのブロガーは、自記事の分野と定期訪問者数をもとに、だいたいの転載数を予測できる。転載数が多いケースでも、自ブログの定期訪問者の1割を超える転載量は稀だろうと私は推測する。
※大量転載のメッカ「素材配布系ブログ」については、別に捉えるべきかもしれない。

記事作成者は転載量についてだいたいの予測を立てたうえで、自分の意思で「転載可」をチェックしていると想定して良いと思う。その結果が転載ボタンの出現なわけだから、「転載ボタン=転載許可の意思表示」と見ていいのではないか。転載の条件が示されていないならば、無条件、つまり無断で自由に転載してよいのではないか。
(もちろん、一言挨拶してオーナーと交流したい、という転載者の繊細な心遣いは良いものだと思う。そういった交流のありかたを軽視するつもりはない)

転載の条件を付けることは記事作成者の自由だが、「全ての条件が誠実に守られるべきだ」とは私は思っていない。条件の内容によりけりだ。

たとえば「転載するさいは非公開書庫へ」という条件、これは再転載が可能だった旧仕様では大きな意味があった。著作権法っぽく(あくまでも、っぽく)言えば「複製は許可するが複製権の放棄はしません」ということだろうし、自記事の頒布量をコントロールするために有効な条件だったから。こういった条件は大切なもので、記事作成者への配慮として転載者は守るべきだと思う。
(※ただし、新仕様からはあまり意味のない条件になった)

一方、「転載のさいはコメントを」「トラックバックを」「記事への感想は元記事へ」といった条件は、お願いレベルというか、仮に守られなくとも「そりゃ、しゃあないで」と感じる。(※注2)

Y!B転載機能には、記事作成者に転載があったことを通知する機能がない。コメント/トラックバックせよという条件は、機能の不備を埋める代替案として考え出されたのだろう。条件を無視する転載者のマナーもよろしくはないが・・・「あんたが誰か教えてくれなきゃイヤだ」という条件には、拘束力というか、納得力(説得力ではない)が無いなぁとも思う。人によって転載許可/不許可を選り別けるかもよ、と言っているわけで、選別されるほうからすれば、かなーりイヤらしい条件だ。
感想は元記事へという条件は、「記事の評価は記事作成者が受け取るべきだ」という考え方から来ているのだろう。心情はわかるのだが、もったいない条件だなぁと思う。転載者が築いた人的ネットワークに載せたからこそ、新しい閲覧者・新しいコメント者がわっと増える。コンテンツが、記事作成者では築けなかった新しいネットワークに載って再評価される。そこが転載のいいところなのに(実は、私は転載機能のこの点を一番評価している)

転載にあたっての条件、というかお願い文で、「転載したらトラックバックしていただけるとありがたいです。転載先で自分の記事にどんな感想が付くか見たいから」といったことを書いているブロガーがいた。
こういう「お願い」はいいなと思った。希望の域を出ないけれども、記事に共感した転載者ならばきっと希望に添ってくれるだろう。転載許可者にとって意義があり、転載者にとっても納得できる条件だ。こういう文章をすらっと素直に書けて、転載許可記事にスマートに(リンクででも)配置できたら、いいねぇ。

そんなまどろっこしいことを言ってられるか、ひとつひとつの転載を自分の思うとおりにコントロールしたいのだ!!・・・という人は。
記事をデフォルト「転載不可」のままにしておいて、転載の申し込みがあったとき個別に「転載可」に設定しなおせば良いと思う。この人こそはと信用できるY!ブロガーからの申し込みにだけ、応えたらいいのではないですか。
それが煩わしいほど転載の申し込みがあいつぐ記事なら、よほど質が高いということだろう。ゴチャゴチャ細かいこと言ってないでバーーンと転載可にして「好きなように持ってってちょーだーい」とやってしまえばいい。気に喰わないヤツの一人や二人に転載されたところで、それがどうしたというのか。良い記事はどこに収まろうと輝いているはずです。自分が書いたものにやましさがないのなら、いいじゃないか。胸を張れ。自信を持て。(※注3)

なんとなくですが、そう思いました。




(※注1)
2/26以前の記事については、転載させるつもりのない記事が「転載可」であったり、転載元の表記が必ずしもオリジナル記事作成者とはかぎらない、という問題点が残っている。
しかし、ブログの過去記事はどんどん埋もれてゆくものだし、仮にそういった記事が転載されても再転載されることはない、一度かぎりのことなので、私はそう大きな問題ではないと捉えている。時間の経過が解決してくれるだろう。

(※注2)
トラックバックをこういう用途で使うのは、他サービスのブロガーには全く理解できないことだろうなぁ・・・閲覧者にとってはノイズなのだが、まあ、そういう流儀もあるということ。私が見かけたというだけで、Y!Bのなかで一般的な流儀かどうかは不明。

(※注3)
言うまでもないが「転載してください」といった文言が入っている記事は対象外。チェーンテキストの発生源になりかねない。
03/16|Y!B 転載機能コメント(8)トラックバック(0)TOP↑
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