上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--/--|スポンサー広告||TOP↑
このブログで「Y!B転載機能撤去!」と耳ダコ連呼していこうと考えたとき、私は以下の三点に留意して記事を書こうと考えた。

(1)転載機能の危険性を客観的に分析し、Y!Bを糾弾することに集中する。
(2)転載機能を使用しているY!Bユーザーを目的もなく非難・揶揄しない。
(3)Y!Bサービスの特殊性をことさら劣点だと書き立てない。

自分自身が利用し、有意義な人脈ネットワークを築いているサービスだ。当然、愛着がある。だがそれだけではない。
Y!Bユーザーをむやみに非難・揶揄したり、ことさらY!Bを貶める表現を採ったりすれば、どれだけ正当な主張を声高に叫んだところで理解者は増えない(愉快がって追従する同調者は増えるかもしれないが)。まして、今まさに転載機能を使用しているY!Bユーザーにはそっぽを向かれると感じたからだ。

Y!B内で、転載機能を自発的に封印しているユーザーはごく一部だ。しかし、封印していないユーザー全てが、転載に依存して記事をロクに書かないロクでもない奴らだというイメージを(もし)持たれているなら、それはヒドい偏見だ。そういったユーザーもまたごく一部だと思う。
私の狭い活動範囲のなかでも、思慮深く転載機能を使っているユーザー、自分の記事をたいせつに書きながら<ごくたまに>転載を使用しているユーザーを多く見かける。著作権への理解が乏しかったとしても、常識と相手への配慮をもって穏当に転載機能を使っているユーザー達。彼らこそが最多数派だろう。記事「Y!B天災機能(9)」で【(C)温存穏健派】と書いた人々だ。

私の「批判の指先」をどこへ向けるか。その方角を間違えたとき、私は、転載でトラブルを頻発させる困ったかたがたのみならず、こういった真っ当なかたがたとの間にも溝を穿ってしまう。それだけは避けたい。そこで、批判の指先を、大家であるY!Bただ一点に向けようと考えた。

以上の理由で、これまで、敢えて書かなかったことがある。
実は、私自身は【(A)断固撤去派】であるとともに【(B)完全不要派】でもある。他人の記事を自ブログに転載しようとも、私の記事を転載させたいとも思わない。「ブログって自分で書くから面白いんやで~せやろ?」と思っている。
しかしこれは私個人の価値観にすぎない。転載機能を「使わない理由」にはなっても「撤去/抜本的に改善する理由」にはならない。そしてなにより、あまり性急に主張すると、批判の指先が【転載機能を搭載したY!B】ではなく【転載機能を使用しているユーザー】に向きかねない。だから私は、この点にいっさい触れずに連載を続けてきた。転載機能撤去という共通目標を持っていながら【(B)完全不要派】の主張を紹介してこなかった理由も、そこにある。


・・・そこにある。あった。のだが。そろそろ封印を解きますか。
ここからは、私の自分語り全開です。転載機能を否定されると腹がタつ人は、読まないでねん。
(お待たせしました)(誰に言っているのさ)(あ~これでやっと〆られる)

転載機能には、他者の記事に強く共感したことを示したり、優良記事を「自分が築いた人的ネットワーク」に載せて推薦するといった効用がある。私は、そういった心情と効用じたいは否定しない。ただ、あまりにも転載を多用するユーザーを見ると、残念には思う。

文章は、書くほど磨かれる。自分が何を伝えたいか、どういうふうに表現すれば伝わるか、あれこれ悩みながら、書いて、見返して、読み手からの反応を受け取って、楽しくて嬉しくて、また書きたいと想うことを繰り返して、研ぎ澄まされてゆく。
私が自分にまつわる文章を綴り始めてから、もうすぐ2年経つ。2年でここまで書けるようになった。他人から見てどうかはわからないが、私自身は、納得のゆく文章が書けることが多くなった。

私は、他人の記事を自分のブログに置きたいとは思わない。私のブログは私の文章を置く場だからだ。私の文章を転載して欲しいとも思わない。私の場にあってこそ、正確に意味を伝え得る文章しか書けないからだ。
私はメイン・ブログで著作権フリー書庫を持っているが、それでも転載許可していない。利用者には、たとえ転載するとしても、転載ボタンぽんでハイいただき、ではなく、せめて右クリックでコピーし自分の記事投稿画面を開いてペーストして「で、この文章を使って私は何を表現したいのだろう」と考えて欲しい。

転載機能の是非を問うとき、こういった考え方は、危険性も緊急性も訴えられない「精神論」の部類で、大家を動かすには全然説得力がない。ないのだが、とてもたいせつな考え方だと思う。私達が論じているのは【転載機能】ではなく、【ブログというツールに搭載されている転載機能】だ。「ブログとはなんぞや」という命題を無視して、転載機能の評価を決定してしまうことは、本末転倒だ。

ブログに何の価値を見出すかは人それぞれだから、私ひとりの価値観を基準にして、ブログの価値=「自分で文章を綴り自分を表現すること」などと断じてしまってはいけない。他のカタチも当然あると思う。他のカタチを実現するために、転載機能がなんらかの役割を果たしているなら、それを頭ごなしに否定してはならない。
けれど、最もオーソドックスな「ブログの価値」を転載機能が侵食しかねないならば、その点に鈍感であってはならないと思う。転載機能を糾弾する理由のひとつ、重い理由のひとつとして、数え上げたいと思う。私のためではなく、新しき表現者のために。私のような表現者、私を超える表現者の未来のために。


元Yahoo!ブロガーで、転載機能の問題点について継続的に記事を書かれている麦氏が、以下のように述べられている。

Yahoo!の転載機能を使わない転載

問題なのは,システムとして不備な点が多いのに手軽にできてしまうYahoo!の転載機能(転載ボタン)を使うことにあります。転載の意味がよく分かっていない初心者に転載ボタンをクリックさせることに問題があります。



最初に教わったこと・最初に馴染んだ環境が、良くも悪くもその人の未来を決定づけてしまうことがある。早い段階で、正規の手続き、常識的なルール、当たり前のマナーを知ることは、極めて重要だ。
転載機能をデフォルトで持たされた結果、Y!Bでブログを始めた初心者ブロガーが「他人の記事はボタン一発で転載できるもの、自分の場に持ってきていいもの」と思ってしまったら。誤った観念が刷り込まれてしまったら。その人にとって、たいへん不幸なことだと私は思う。

新しき表現者達のために、できるかぎり良い場を整えてゆくこと。その一環として、欠陥だらけの転載機能を糾弾してゆくこと。
「いまそこにある危険」を俎板に乗せた議論ではない。即効性のない話、ガンコで偏屈な話だ。けれど、私はこの思想を上位に位置づけたい。
議論を薄っぺらなモノにしないために、本来の目的を見失わないために、「転載機能は不要!」と主張するかたがた、ぜひ私達の議論に参加してください。ただし、指先は、必ず大家に向けてくださいませんか。お願いよ。
スポンサーサイト
12/13|Y!B 転載機能コメント(21)トラックバック(0)TOP↑
「Y!B転載機能」を法律上どのように解釈するか、という議論がY!B内外で始まっている。

ここで各論の詳細を述べることは控える。理由は後で述べるとして、興味のあるかたはリンク先を参照していただきたい。(※先に議論がはじまったのはFD氏のブログだが、トンコ氏が各論の要点をまとめているので、そちらを上段に配した)

転載機能を撤廃させていくために(by トンコ氏)
ひっそりと転載機能を考えてみます・・・シリーズ(by FD氏)

えー、ここでちゃぶ台をひっくり返すようなことを書きます。
(この議論に参加されているみなさま、不快な想いをさせたら誠に申し訳ありません)

私はこれまで、Y!Bの転載機能について、【撤廃】ではなく【撤去】すべきだと書いてきた。
「Y!B転載機能をとっぱらえ!」と主張するとき、【撤廃】という言葉が、私には馴染まなかった。【撤廃】という言葉は、それなりの合理的目的を有していた制度/システムを、別の合理的な理由に基づき廃止するという意味合いに思える。そんな大層なモノに見えなかったからだ。あの「転載ボタン」が。

あのボタンはそもそも、「契約」だの「著作権の行使(あるいは放棄)」だのという高度な概念など内包していない、と私は思う。単なる【コピー(複写)ボタン】ではないだろうか。複写機のコピースタートボタンと同じことだ。【目の前の記事(※著作者が誰かはどうでもよい)】を、自分のブログにコピーする為のボタン。誰が誰のモノをなんの目的でコピーするのか、原本コピーなのか孫コピーなのか、それが法に抵触する行為なのかどうか、そんなこたあボタンは知ったこっちゃないのである。
Y!Bも、知ったこっちゃないと思っている。使い方は自己責任でお願いしますと言っている。ヘルプを見ればわかる。「ほかの記事の内容をコピーして、自分のブログ内に掲載できる機能があります。この機能を「転載」と呼びます。」という解説しか載っていない。なんのために使えとも、こういう使い方はまずいですよとも、一言も書かれていない。ガイドラインで「著作権者の許可を受けずに著作物を公開するなど、第三者の知的財産権を侵害したり、侵害を助長すること」を禁止行為に掲げておきながら、転載機能の法的位置づけはどこにも載っていない。

Yahoo!Blogsの設計段階で、記事作成者の著作権がどうこうという議論は、まったくされなかったのではないかと私は勘ぐってしまう。そうでなければ、記事作成者(著作者)の氏名表示権さえ保たれていない欠陥機能が搭載されるはずがない。だから私は【撤去】と書き続けた。とっととその【コピーボタン】を取っぱらえ、と。

転載機能にあえて法的な解釈を後付けするならば、「複製権の放棄」が一番近いのではないかと私はFD氏に提案した。いったん転載を許可すると無限転載が可能なうえ、転載された事実を確認することも、転載記事を回収(削除)することも、<機能上は>できないからだ。
この解釈はかなり無理があるのだが、「複製権の許諾」の方向で解釈しようとしてもまた別の無理がある(※要点はトンコ氏の記事を参照してください)。無理があって当たり前だ。法解釈をスッ飛ばして産まれたお手軽ボタンなのだから。

CC(クリエイティブ・コモンズ)のように、Y!Bが「転載機能を使用したさい、著作(権)者の権利が及ぶ範囲」を明示しオーソライズしてくれたなら、問題はもっと簡単だっただろう。記事作成者も転載者も、著作権法の範囲ではカバーしきれなくとも、なんらかの法的な保護を受けられただろう。しかし、Y!Bはそれを完全に怠っている。転載機能に欠陥があることのみならず、「どこもオーソライズしてくれない」という現実が加わっているからこそ、ユーザーは法的な保護を受けられ難い状態に放置されているのである。不完全な機能を「デフォルト可」で持たされながら!

転載機能を法律上どう位置づけるか。この議論そのものを、無意味だと言っているわけではない。おおいに有意義だと思う。検証すべき点は他にもある。たとえば、以下の二点。
(1)転載を全文複製と見なすか全文引用と見なすか
(2)記事が特定の個人・企業・団体等になんらかの負の影響を与えたさい、記事作成者と転載者に問われる責任の比重(参照:Y!B天災機能(5)
この件については、FD氏が記事を練っていらっしゃる気配がするので、私は下駄を預けます。トラックバックを参照してください(←明示の予約。なんちって)

だがいずれにしろ、議論の目的は、「現状の転載機能」に一義的な法解釈を与えることではないと思う。さまざまな解釈を議論者が出しあうなかで、それぞれの解釈に特有の「コンテンツの扱われ方」をはっきりと浮かび上がらせ、認識することではないだろうか。現段階では、私はそう考えている。
それが見えたら、次は議論のベクトルを逆に向ければいい。川下(現状)から遡っていた議論を、今度は川上(あるべき姿)から流し下す。まずは、もっとも重要な選択を問う。
(A)転載機能を撤廃するか
(B)転載機能を改善するか
ここで多数決を取る必要は無い。Y!Bを特徴付けているこの特殊な機能を、消すか、残すか、二案あるということを示し、次に(B)を選択した場合のユーザー側のメリットとデメリットをつまびらかにする。

転載機能を温存するなら、
(a)私達はどのように自分のコンテンツを発信したいのか。転載者にどう扱って欲しいか。
(b)そのためには、機能がどのような仕様であるべきか。何を許し、何を許さないか。
ここまでで、数パターンが出揃うと予想される。川の流れは一本ではないわけだ。法律に詳しくないブロガーの意見もどんどん吸い上げたらいい。過去の議論に参加した記事群を参照するのもいいだろう。そのうえで、さらに、
(c)法律上、合理的に解釈できる内容になっているか(=法的な保護を受けられるか)。
を検討する。著作権法で保護され難い内容ならば、Y!Bによるオーソライズを前提にしなければならないが。記事作成者がCCを表示させることで解決する道を探ってもいいだろう。
※参考記事:Yahoo! ブログの転載機能とクリエイティブ・コモンズ(by 麦氏)
そのうえで、さらに、
(d)転載による不法行為の拡散を予防するために必要・有用な機能を追加するかどうか。
(e)トラブルが起きてしまったさい、転載記事を回収(削除)する機能を追加するかどうか。
(f)以上、それぞれの仕様ごとに、ユーザーに問われる「発信責任」の重さがどう変わるか。
という順で検討すると、スッキリ整理できる。

・・・と、私は考える。音頭を取る気はないが。
(すみません)(おもしろそうな話題には乗ります)(ああなんて無責任な放言)

幾つもの支流を集めて海に出ることができたなら、素晴らしい議論になるだろう。アホタレ大家の無能ぶりを、ユーザーの力で笑い飛ばすことができるかもしれない。

しかし結論が出なかったとしても、仮に大家が動かなかったとしても、この議論には価値がある。
資格・能力・経験を問わず、誰でも自分の表現を発信できる時代が来た。Y!B転載機能は格好の素材なのだ。私達は、自分のコンテンツをどう発信したいのか、広くかつ安全に発信するにはどうしたらいいのか、発信に伴う責任をどう引き受けてゆくべきか。そういったことを考察するうえで。
「自由な議論」の真の意義と楽しさとは、結果ではなく、その過程にこそ宿っていると私は思っている。




※Y!Bの法的責任・道義的責任を明らかにする議論については、別途、記事を起こしたいと考えている。
と、今年1月にも書きましたが。忘れてたワケじゃありません。・・・怠けてただけです。
12/10|Y!B 転載機能コメント(15)トラックバック(1)TOP↑
最近の記事
プロフィール

wataritori

Author:wataritori

最近のコメント
カテゴリー
最近のトラックバック
リンク
ブロとも申請フォーム
ブログ内検索
RSSフィード
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。