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前回の記事で、無限転載によって訴訟・損害賠償になりうるケースを挙げたが、実際に訴訟が起きた場合を想定してみる。著作権侵害でも名誉毀損でも事実無根の誹謗中傷でもなんでもいい。次のうち、他者の権利を侵害したとして糾弾されるべき「者」は、誰か?

(A)記事を作成し、転載を許可したブロガー
(B)記事を転載したブロガー
(C)欠陥だらけの転載機能を搭載したY!B

(A)池に石を投げ込んで波紋が起きたようなもの、と喩えれば、石を投げ込んだ者(記事作成者)が悪いとなるし、
(B)麻薬の密売みたいなもの、と喩えれば、売った者(記事作成者)も買った者(転載者)も悪いとなるし、
(C)元旦の明治神宮で将棋倒し事故が起きたようなもの、と喩えれば、事態は不可抗力で敢えて言うなら雑踏警備に手落ちがあった所轄の警察署(Y!B)が悪い、となる。

こういった問題を喩えで斬るのは不適切なんです。どうとでも書けるから。
てことで、コケそうな予感はするが、誰が「悪者」か、理詰めで考えてみよう。私はY!Bを悪の親玉として袈裟懸けに斬りたいのだが、この記事ではいったん(A)(B)だけに絞って考える。
(※法務の専門家の間でも見解が別れそうな問題です。これから述べる考えは一私見に過ぎません。おもろいと感じられたかたは、御自分で検証してみてください)

転載機能問題をつらつら眺めていて、わかったことがある。
ブログで記事を書くということは、「表現する」+「発信する」ということ。
ブロガーは「表現者」であると同時に「発信者」でもあり、「文責」を負うと同時に「発信責任」も負っているのだなあ、と。

◆ブロガーは自らの記事に対して「文責」を負う。記事の内容について問い合わせ等があれば、応じる道義的責務を負っている。(この点は異論はないだろう)

◆ブロガーは同時に「発信責任」を負う。記事を【誰に向けて(発信対象)】【いつ(発信のタイミング)】【どのような手法で(発信手法)】発信したかを評価され、不適切な発信方法によってなんらかの負の効果を引き起こした場合は、道義的責任・法的責任を問われる。場合によっては訴訟・損害賠償請求に発展することもある。

前回の記事で、記事がセーフかアウトか見極めは難しい、と書いた。記事は「表現内容」だけでなく「発信方法」もあわせて評価されている。
同じ記事内容であっても、閲覧者が数十人と数万人では受け取られ方がまったく異なる。既に大きく事態が動いてしまった過去の現象を今現在起きていることのように批評すれば、旧い情報など誤った情報に等しいと批判されるだろうし、レイティングを要する記事(たとえば18禁みたいな記事)をなんの断り書きも無しにブログで発信すれば、サービス提供側からバッサリ削除されるだろう。

ふつうブログは個人運営だから、「文責」と「発信責任」は一体で、別けて考える必要が無い。どちらもひっくるめて「文責」と扱って論じられることが多いし、それで問題ない。
が、無限転載の責任の所在を追及するとき、【ひっくるめ文責論】では限界がある。そこで「文責」と「発信責任」を別けてみた。逆にいえば、「文責者」と「発信責任者」が分離してしまうこと、これが転載問題の核心だっちゅうことです。

さて、Y!B内で、ある企業の名誉をメッタメタに傷つける記事を書き、転載を許可したブロガーがいると仮定する。
◆執筆したブロガーは「文責」と自ブログの閲覧者数分の「発信責任」を負う。
これは当然。で、この記事が転載されたときは、
◆「文責」は執筆者にある。しかし転載先の閲覧者数分の「発信責任」は転載したブロガーが負う。
・・・とするのが妥当だと、私は考える。
「文責」はどこまでいっても執筆者にあるから、執筆者は転載先も含めた全ての閲覧者に対して「問い合わせに応じる責務」を負っている。しかし「記事によって権利を侵害された/経済的損失を被った」という請求に対しては、転載者がそれぞれ個々の閲覧数分だけの「発信責任」を負っている、と考えた。
「私は転載しただけで、書いたのはアノ人」という言い逃れはできない、あなたには「発信した責任」があるでしょうよ、ということ。

とここまで書くと、最初の発信者にだって「転載を許可した」責任があるのでは?と考えるかたがいらっしゃるだろう。私ならそう考える。
私は、転載を許可した時点で、執筆ブロガーは能動的に「配信責任」を引き受けた、と考える。彼には記事を広く配信(流布)する意図があった、だから転載先の閲覧状況について、まったく無責任ではいられない、と考える。
※「配信責任」という言葉は、誤情報を配信し名誉毀損問題を引き起こしたメールマガジンを読んで思いついた。

まとめると、
(1)記事を執筆し発信したブロガーは「文責」「発信責任」を負う。
(2)執筆ブロガーが転載を許可した場合、一次転載件数分の「配信責任」を負う。とともに、転載先の閲覧者数分の「発信責任」を転載者と共同で負う。無限転載を許容した場合は、全ての転載件数分の「配信責任」と、全ての閲覧者数分の「発信責任」を転載者と共同で負う。
(3)転載者は自ブログの閲覧者数に応じた「発信責任」を負う。執筆ブロガーが再転載を許可していないにも関わらず、再転載を勝手に許可した場合には、転載件数分の「配信責任」と転載先の閲覧者数分の「発信責任」を共同で負う。

さて、メッタメタの名誉毀損記事が無限転載された結果、とある企業の業績がガタ落ちになり、訴訟を起こされたと仮定する。誰がどの程度の責任を問われるか?
(1)当然、執筆ブロガーには最初の「発信責任」が問われる。
(2)転載者に充分なリテラシーがあり、自らの転載(発信)行為に責任を持てる人間であれば、転載者の「発信責任」が問われ、執筆ブロガーの「配信責任」は問われないかもしれない。が、転載者が未成年であるなど、責任を追及できない(賠償能力も無い)人間である場合は、被害者救済のため転載許可者の「配信責任」が重く問われるかもしれない。
(3)執筆ブロガーが無限転載を奨励していた場合は、「配信責任」が重く問われるだろう。
・・・と私は予測しました。

私の予測は誤っているかもしれない。が、ひとたび司法のメスが入れば、無限転載=「誰も責任を取らなくてよい不可抗力」などと見逃されるはずはないことだけは確かだ。誰もが、応分の責任を取らされるはずだ。

Y!Bブロガーが転載を許可するとき、または転載ボタンを押すとき、彼らは自らの行為の「責任」を自覚しているだろうか?
答えは、十中八九「NO」だ。

「この記事が気に入ったら転載してくださいね♪」「転載させてください♪」「転載してくれてありがとう♪」なんて浮かれてる場合じゃないんだけどなあ。
なにか事が起きたとき、彼らはどうするつもりなんだろう。潔く責任を果たすと表明する人、必要以上に自責の念にかられる人、他人に責任をなすりつけ平然とする人、さっさと記事を削除し何事もなかったようにふるまう人・・・いろいろなんだろうなあ。
そのとき、彼らはもはや「表現者」でも「発信者」でもなく、ただ一人の人間として己の「人格」を公衆の面前に晒すことになるわけだなあ。ぞっとしないね。私はそんなゲテモノ劇、おもしろいとは思いませぬ。見たくも無い。
そんな悲劇が起こる前に、Y!Bよ、頼むから転載機能をとっとと撤去してください。
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02/02|Y!B 転載機能コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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