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メインブログとこのブログで、転載機能を扱った記事を20枚近く書いた。最初の一枚は2005年8月、直近の一枚は2007年3月、あしかけ1年半。
その間、自分の意見を書くことによって、他者の意見を読むことによって、転載機能に対する私のスタンスが次第に明らかになった。自分にとって譲れない原則は何か、他者に対して柔軟性をもてる幅はどれくらいか。転載機能というテーマの下であっても、正否どちらでもかまわない(関心のない)論点があることもわかった。

議論をとおして、私はいろいろ学んだなあと、最近あらためて思う。転載機能についてではなく。書くこと、読むこと、異なる価値観・異なる背景を持つ他者と交流すること。
いま、異文化交流議論をノベライズしているからかもしれない。

議論を「異なる意見を戦わせ正誤を判定する」あるいは「異なる意見を出しあうなかから合意点を探る」という狭義の意味で捉えるなら、私の記事群は議論とは呼べない。言及&リンクで活発にやりとりしていたブロガーから見れば、私のやりかたは、四方を壁で囲って独り言を呟いているようなものだった。

それでも。自分の意見を筋道を立てて表現し、発信し、自身のスタンスと思考とを明瞭にしてゆくとともに、他者の意見を読み、互いに言葉を交わすことによって、自分の思考をたゆまずリライトしていった・・・そういう「ブロガー」のかたがたの一端に私も加われたことを、嬉しく感じます。




以降、転載機能に対する私のスタンスを記録。

転載機能の危険性を以下のように認識している。
(1)素人の不完全な記事が、本人のプロフィール・過去記事との連続性を絶たれて一人歩きする。
(2)著作権侵害/名誉毀損/プライバシー侵害などの問題を含んだ記事が、転載・再転載(※再転載可は旧仕様)によって拡散し、当事者で回復不能の被害を発生させうる。
さらに旧仕様では、
(3)デフォルト「転載可」のため、転載機能の問題点を知らないユーザーの記事、転載させるつもりのない記事が大量転載されうる。
以上は、加害被害がリアルに波及しかねないこと、落ち度のないユーザーが大きなトラブルに巻き込まれかねないことから、機能を搭載したY!Bに向けて批判記事を連載した。

転載機能によって発生しうる以下の問題については、私は関心が薄い。または無い。
(4)記事作成者が望まない転載により、記事作成者の著作権(複製権)が侵害される。
(5)(4)に関連し、記事作成者と転載者が揉める。
私は「著作者人格権を甚だしく侵害し、なおかつ該当記事を拡散させる行為」を徹底的に批判したことがある。しかし、「営利を目的としない改変なしの複製」についてはもっと自由であって良い、素人のコンテンツについては尚更と認識しているので、複製権のほうはさして問題視していない。
揉めごとについても、当事者間で解決が原則であって、私に近しい友人が巻き込まれでもしないかぎり関心はない。

転載ボタンの解釈について。
「転載ボタン=転載許可の意思表示」かどうかについては、旧仕様では「どちらかと言えばNo」、新仕様からは「ほぼ間違いなくYes」、ただし使用者により見解が分かれる論点であろう。ユーザー間で見解を統一することは難しい。
記事に条件を記載することで、転載ボタンを「条件に沿った場合のみ使用してよい」と位置づけることは可能。ただし、第三者から見て「合理的な根拠がある」と判定される条件でなければ、仮に条件が守られなかったとしても著作権侵害を理由に転載許可を取り消すことはできないと考える(転載者のモラルを問うことは御自由に)。

転載行為の是非について。
転載許可者・転載者が互いに了解のうえで、本人たちの自己責任で転載することは仕方がない。記事の拡散によって発生した問題を自分の責任として引き受けられるならば、自由。責任を取れない・責任を取るという「意味」がわからないユーザーは、転載機能を使うべきでない。
誤情報・他人の名誉や権利を損なう内容が記載された記事が転載で拡散したさい、記事作成者・転載者が批判されることは当然。しかし転載行為そのものがいわゆる「幼稚だ」という論調によって、それのみを理由に批判されることには不同意。そういった論調は、機能の是非・行為の是非を論じたものではなく、批判者の優越感を表明したものにすぎないと認識している。

転載機能の利点について。
自記事を改変なしで広く発信することができる。コンテンツに共感した者達がつなぐ新しいネットワークに載って、自記事が再評価されてゆくという利点は大きい。
創作物(詩・小説・イラスト・写真など)や、専門家による確定した事実の解説文など、情報の訂正が起こりにくく記事単体で完結しやすいコンテンツにとっては、転載機能はたいへん有用。

転載機能に対する最終評価。
旧仕様については、デメリットがメリットを大きく上回ると判断。生半可な改善要望を出したところでY!Bが動くとは思えなかったため、主張を「危険だから撤去」一本に絞り、Y!Bを対象に批判記事を連載した。
新仕様からは、デメリットは残っているもののメリット面を優先できる程度まで危険度は下がったと判断。機能を撤去する必要はないと判断。今後、転載機能にまつわるトラブルは、機能ではなくユーザーの責に帰して良いと考える。
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03/31|Y!B 転載機能コメント(1)トラックバック(0)TOP↑
2007年2月26日から、Y!B転載機能の仕様が変更された。
今回の仕様変更は「機能の改善」と呼ぶにはドラスティックな内容だった。改善点をひとつひとつ比べ語るより、刷新された機能と捉えてゼロから考察したほうがスッキリ整理できそうなので、やってみます。

現在のY!B転載機能は、こういうモノだ。
(1)記事作成者が「転載させてもよい」と意思表示した記事を、
(2)Y!Bブロガーであれば、誰でも無断で転載できる。(が、新たな転載源になることはない)
(3)転載記事には、オリジナル記事へのリンクと発信ブログ名が表示される。

とりたてて問題はない、
・・・と言い切ってしまうのは、旧:断固撤去派としてはマズいでしょうか?
では、Y!B転載機能(改名)連載第1回。【転載ボタンの位置づけ】について考えてみる。

新仕様からは、「転載ボタン=転載許可の意思表示」と見なして良いと私は思っている。
理由は以下の二点。

◆記事作成者が能動的に「転載可」にチェックした記事にだけ、転載ボタンが表示されるから。
転載させるつもりのない記事には、転載ボタンは出ていない。(※注1)

◆再転載不可になり、記事作成者が自記事の転載量の上限を予測しやすくなったから。
Y!Bユーザーの多くはサイドメニューに「統計(自ブログの訪問者数やコメント数など)」を表示させているし、ログイン状態でY!Bトップページに入るとその日のユニークユーザー数が表示されている。たいていのブロガーは、自記事の分野と定期訪問者数をもとに、だいたいの転載数を予測できる。転載数が多いケースでも、自ブログの定期訪問者の1割を超える転載量は稀だろうと私は推測する。
※大量転載のメッカ「素材配布系ブログ」については、別に捉えるべきかもしれない。

記事作成者は転載量についてだいたいの予測を立てたうえで、自分の意思で「転載可」をチェックしていると想定して良いと思う。その結果が転載ボタンの出現なわけだから、「転載ボタン=転載許可の意思表示」と見ていいのではないか。転載の条件が示されていないならば、無条件、つまり無断で自由に転載してよいのではないか。
(もちろん、一言挨拶してオーナーと交流したい、という転載者の繊細な心遣いは良いものだと思う。そういった交流のありかたを軽視するつもりはない)

転載の条件を付けることは記事作成者の自由だが、「全ての条件が誠実に守られるべきだ」とは私は思っていない。条件の内容によりけりだ。

たとえば「転載するさいは非公開書庫へ」という条件、これは再転載が可能だった旧仕様では大きな意味があった。著作権法っぽく(あくまでも、っぽく)言えば「複製は許可するが複製権の放棄はしません」ということだろうし、自記事の頒布量をコントロールするために有効な条件だったから。こういった条件は大切なもので、記事作成者への配慮として転載者は守るべきだと思う。
(※ただし、新仕様からはあまり意味のない条件になった)

一方、「転載のさいはコメントを」「トラックバックを」「記事への感想は元記事へ」といった条件は、お願いレベルというか、仮に守られなくとも「そりゃ、しゃあないで」と感じる。(※注2)

Y!B転載機能には、記事作成者に転載があったことを通知する機能がない。コメント/トラックバックせよという条件は、機能の不備を埋める代替案として考え出されたのだろう。条件を無視する転載者のマナーもよろしくはないが・・・「あんたが誰か教えてくれなきゃイヤだ」という条件には、拘束力というか、納得力(説得力ではない)が無いなぁとも思う。人によって転載許可/不許可を選り別けるかもよ、と言っているわけで、選別されるほうからすれば、かなーりイヤらしい条件だ。
感想は元記事へという条件は、「記事の評価は記事作成者が受け取るべきだ」という考え方から来ているのだろう。心情はわかるのだが、もったいない条件だなぁと思う。転載者が築いた人的ネットワークに載せたからこそ、新しい閲覧者・新しいコメント者がわっと増える。コンテンツが、記事作成者では築けなかった新しいネットワークに載って再評価される。そこが転載のいいところなのに(実は、私は転載機能のこの点を一番評価している)

転載にあたっての条件、というかお願い文で、「転載したらトラックバックしていただけるとありがたいです。転載先で自分の記事にどんな感想が付くか見たいから」といったことを書いているブロガーがいた。
こういう「お願い」はいいなと思った。希望の域を出ないけれども、記事に共感した転載者ならばきっと希望に添ってくれるだろう。転載許可者にとって意義があり、転載者にとっても納得できる条件だ。こういう文章をすらっと素直に書けて、転載許可記事にスマートに(リンクででも)配置できたら、いいねぇ。

そんなまどろっこしいことを言ってられるか、ひとつひとつの転載を自分の思うとおりにコントロールしたいのだ!!・・・という人は。
記事をデフォルト「転載不可」のままにしておいて、転載の申し込みがあったとき個別に「転載可」に設定しなおせば良いと思う。この人こそはと信用できるY!ブロガーからの申し込みにだけ、応えたらいいのではないですか。
それが煩わしいほど転載の申し込みがあいつぐ記事なら、よほど質が高いということだろう。ゴチャゴチャ細かいこと言ってないでバーーンと転載可にして「好きなように持ってってちょーだーい」とやってしまえばいい。気に喰わないヤツの一人や二人に転載されたところで、それがどうしたというのか。良い記事はどこに収まろうと輝いているはずです。自分が書いたものにやましさがないのなら、いいじゃないか。胸を張れ。自信を持て。(※注3)

なんとなくですが、そう思いました。




(※注1)
2/26以前の記事については、転載させるつもりのない記事が「転載可」であったり、転載元の表記が必ずしもオリジナル記事作成者とはかぎらない、という問題点が残っている。
しかし、ブログの過去記事はどんどん埋もれてゆくものだし、仮にそういった記事が転載されても再転載されることはない、一度かぎりのことなので、私はそう大きな問題ではないと捉えている。時間の経過が解決してくれるだろう。

(※注2)
トラックバックをこういう用途で使うのは、他サービスのブロガーには全く理解できないことだろうなぁ・・・閲覧者にとってはノイズなのだが、まあ、そういう流儀もあるということ。私が見かけたというだけで、Y!Bのなかで一般的な流儀かどうかは不明。

(※注3)
言うまでもないが「転載してください」といった文言が入っている記事は対象外。チェーンテキストの発生源になりかねない。
03/16|Y!B 転載機能コメント(8)トラックバック(0)TOP↑
取り急ぎ、速報。

2007年2月26日より、Y!B転載機能の仕様が変更される。

(1)デフォルトが「転載不可」に
 →記事作成者が能動的に転載を許可しないかぎり転載されない。

(2)転載はオリジナル記事からのみ。再転載はできない
 →記事が無限に拡散する危険性はほぼゼロ
 →大量転載が発生する頻度・転載量ともかなり下がる(はず)
 →転載元が常に記事作成者となり、発信元を特定できる

詳しくはこちら
2007年2月21日現在、Yahoo!Blogsトップページにお知らせが掲示されている。

機能撤廃ではないし、過去記事に表示されている転載ボタンはそのまま(※転載は一度だけできる)という難点は残っているけれど、改善内容として私の感覚では90点の合格レベル。

今夜は祝杯じゃ!




【追記:2007/2/27】
転載機能の仕様変更を確認。お知らせのとおり、デフォルト不可・再転載不可になっている。
チェックボタン切り替え時・転載ボタンクリック時に何らかのアラートが出るといった改良も期待したが実現せず。ヘルプの書き換えも不十分。
仕様変更早々、バグも発生している模様。いずれ修正されると思うが・・・

さすが大家。
(これくらいでガックリきてたら身がもたない)
02/21|Y!B 転載機能コメント(7)トラックバック(1)TOP↑
当ブログでは、Yahoo!BLOGSに搭載されている「転載機能」の問題点をシリーズ考察しています。
連載の特徴は以下のとおりです。

(1)「機能そのものに内在している危険性」を主題に考察しています。
(2)特定のトラブル事例・関係者を名指ししての指摘・批判を控えているため、実例(転載記事内容・件数などのデータ)を照会したいかたにとっては不十分な内容となっています。
(3)2006年1月から連載開始、現在も継続中。新たな転載トラブルが発生したタイミングで記事を起こしているため、更新は不定期です。

Author:わたりとり
2005年2月にYahoo!ブログを開設。現在もYahoo!で活動中。Yahoo!Blogsサービス(以下 Y!Bと略)による理不尽なブログ強制削除措置を目の当たりにし、大家(Y!B)の膝元で大家批判を展開することは危険と判断、2005年12月、当ブログを開設した。





Y!B転載機能の危険性(※リアルに波及する重篤な危険性)について。考察の中核記事

Y!B 天災機能(2)
Y!B転載機能の仕様、転載により著作権侵害行為が拡散するケースについて。
 Key word>ユーザーが加害者・被害者になる , 侵害行為が拡散 , goo絵文字転載事件

Y!B 天災機能(3)
Y!B中核ユーザー層を推測、ユーザー特性からY!Bシステム設計の甘さを糾弾。
 Key word>中核ユーザー , ユーザーに対するリテラシーの期待値 , PL法の精神

Y!B 天災機能(4)
転載機能が引き起こしうる「違法性の高いトラブル7例」を挙げ、これらトラブルを根絶(未然防止)することが困難であることを論証。
 Key word>侵害行為の範囲と深度 , 適切な記事/不適切な記事 , ブログという「場」

Y!B 天災機能(5)
転載許可者(記事作成者)と転載者に問われる「法的責任」の量と比重について、仮説を提示。
 Key word>訴訟 , 「文責者」と「発信責任者」 , 「配信責任」 , 応分の責任

Y!B 天災機能(6)
転載機能による画像(特に素材絵)配布による、直リンク(特定サーバーへの集中負荷)問題について
 Key word>外部サーバーに直リンク , 外に輸出されたトラフィック

Y!B 天災機能(9)
いわゆる「善意の記事」を転載推奨する危険性について。
 Key word>チェーン現象 , 善意であるほど危険 , 損害賠償請求に応じる覚悟・責任

Y!B 天災機能(13)
情報コントロールの観点から、転載機能の機能的欠陥を列挙。
 Key word>技術集団 , 情報が改竄 , 相反する機能が同時に動く , クラッキング , 企業風土





Y!B転載機能の問題点について。補論記事

Y!B 天災機能(8)
転載機能の効用をむりやり考えてみた。転載許可するさいの心構えについて訓辞を垂れてみた。
 Key word>コンテンツが一人歩き , 自信作 , 自分の著作物を相手に委ねる

Y!B 天災機能(12)
転載機能が「自分で書くこと」の意義と楽しさを見失わせ、「ブログの真価」を侵食する問題について。
 Key word>「ブログとはなんぞや」という命題 , 新しき表現者 , 最初に馴染んだ環境




その他の補論記事。Y!B転載機能の効用についても考察

Y!B 天災機能(1)
連載の導入記事。Y!Bを特徴付けている各種機能について。
 Key word>ブログらしからぬ , 異端の可能性 , 転載機能は【有害な機能】

Y!B 天災機能(7)
転載機能を「クチコミのシステム」と捉え、その効用を考察。
 Key word>はてなブックマーク , 情報をpushするシステム , 志向の違い

Y!B 天災機能(10)
転載機能が撤去されない(温存される)であろう現実を踏まえ、機能改善案を提示。
 Key word>欠陥是正 , サポートする機能 , 強権発動する機能 , アホタレ大家

Y!B 天災機能(11)
「著作権の観点から転載機能をどう捉えるか」という議論を手がかりに、「転載機能をネタにした議論のありかた・楽しみ方」を考察。
 Key word>【コピーボタン】 , 法的な解釈 , オーソライズ , 議論のベクトル , 格好の素材

Y!B 天災機能(14)
記事作成者(転載許可者)と転載者に必要なこころがまえについて。
 Key word>二者間の紛争 , 水掛け論 , 原則論 , 自己弁護の道具 , 嫌がらせ目的の転載

02/20|Y!B 転載機能コメント(1)TOP↑
Y!B転載機能に内在する危険性・問題点は数多い。そして、危険性にはレベル(危険度)がある。

私は、大量転載(無限転載)の害悪に力点を置いて連載してきた。誤情報・他人の権利を侵害する情報が拡散すれば、回復不能の被害をリアルの世界に撒き散らしかねないからだ。

そういった重篤な危険性に比べれば、転載によって記事作成者の著作権(複製権)が侵害されるの、気に喰わない相手に転載されて傷ついたのどうのという話は、たいした問題ではない。言っちゃ悪いが、記事作成者ひとりの心情の問題だ。

ということで、これまで転載許可者と転載者、二者間の紛争にまつわる問題は取り上げてこなかったのだが、連載も終盤なので、私の考えを書いておきます。


私自身が転載機能を使っていないこともあって、私のスタンスは、転載者より記事作成者に厳しい。
自分の記事を守りたい、他人に持っていかれたくないならば、最初から転載不可にしておくべきだ。自分の意志で「この記事を複製してもいいですよ」と転載ボタンを表示させたならば、誰にどういう目的で転載されるかわからないこと、記事の拡散を止めるのは困難であること、自分の記事が大量に出回れば思わぬ波紋が起きるかもしれないこと、を覚悟しなければならない。この覚悟ができないなら、転載不可にするべきだ。

また、Y!B 天災機能(11) でFD氏とトンコ氏の見解を紹介したとおり、転載ボタンを表示させるということは、法的には「私に断わりなくコピーしていいですよ(黙示の許諾)」と解釈される可能性がある(※確定ではないが、その確率は高いだろうと私は考える)。法律に詳しくなくとも、「転載ボタン=自由に転載していい」と受け止めるユーザーは少なくないと私は思う。転載者との間で揉めたとき、Y!Bが転載機能の正しい使い方を解説していない以上、互いの主張が水掛け論になることは明白だ。そんな面倒に巻き込まれたくないならば、最初から転載不可にしておくべきだ。

さて。
こう書くと、「転載ボタンを表示してるってことは、誰にどう転載されてもいいってことだろ、その覚悟があるってことだろ、法律上もそうなってるんだろ、どの記事をどう転載したって文句を言われる筋合いはないね」と言って他人の記事を好き放題転載しまくる人が出ないともかぎらないので、私は声を大にして言う。

【記事作成者】のこころがまえを述べた原則論を、【転載者】の自己弁護の道具にしないでいただきたい。

記事作成者に必要なこころがまえがあるように、転載者にだって必要なこころがまえがあると私は考える。

Y!Bには、そもそもデフォルトが「転載可」であることすら知らない、転載ボタンの存在を気に留めていないユーザーが多い。転載ボタンの役割は知っていても、そこに潜む危険性までは知らないというユーザーはさらに多い。というより、転載機能の問題点を熟知しているユーザーのほうが稀だ。
また、転載機能の問題点を知っているユーザーであっても、知らなかったころ書いた過去記事が転載可のまま残っていることもある。
記事の下に転載ボタンが出ていても、「転載していいですよ」という意思表示とはかぎらない。本人の意思と食い違う意思表示は、法律上も無効とされることがある(※必ず無効となるわけではない。紛争の道具にされるのは不本意なので法文の照会は控える)。
転載条件を示していない記事については、転載してよいかどうか、記事作成者に確認することが原則だと私は思う。

次に、記事中で転載の条件が示されている場合。当然ながら、転載者は条件を守らなければならない。記事作成者の意思は転載ボタンではなく「条件文」のほうに託されている。転載ボタンはただの【コピーボタン】に過ぎない。著作者が、自分の意思で、転載ボタンをそう位置づけたということだ。
ひとつ転載者寄りの意見を言えば、記事作成者は「転載の条件」をわかりやすく示すよう配慮すべきだが。転載者が見落としたり誤解したりしないよう、条件文はわかりやすい文章で、わかりやすい場所に配置する。この努力を怠った記事が、条件から外れた転載をされることは、私はしかたがないと思う。不可抗力だ。


私のべきべき論は、四角四面のお説教に見えるだろうか。融通のきかない理想論に見えるだろうか。
(まあ、そうだろう)
ただ、こう思う。法律を知らなくとも、こんな堅苦しい言葉を使わなくとも、大多数の転載者は転載機能を問題なく使っている。私が述べたことを軽々と安々と実行している。記事作成者への敬意と配慮、一言の挨拶、そういった「心づかい」をもって、円滑にコミュニケーションしている。私が述べたことは難しいことではない、当たり前のことなのだ。

そしてまた、繰り返される「嫌がらせ目的の転載」を見て、こう思う。
転載者もまたブロガーなのだ。転載記事であろうとも、自分のブログで「新しい記事」を発信することに変わりはない。記事作成者に文責と発信責任が問われることと等しく、転載者には「その記事をなんの目的で転載したのか、転載によって発生する影響をどう考えたのか、転載によって生じた被害があればどう責任を取るのか」が問われる。
転載した記事がなんらかの負の現象を引き起こしたり、まして誰かを傷つけたということがわかったなら、速やかに誠実に対処するべきだ。「転載ボタンがあったから転載しただけ」などという言い訳はあまりに幼稚だ。まして、転載機能の問題点を考察した記事群から都合の良い解釈を切り取って自己弁護の道具に使うなど、見苦しいこと甚だしい。

自分の意思で、転載したのだろう。自分の意思で、記事作成者の想いを無視し続けているのだろう。
ならばその理由を、自分の思いと考えを、自分の言葉で書くがいい。もし「自分の転載は正当な行為だ、嫌がらせ目的ではない」というなら、なおさらだ。ブロガーなら、それっくらいは、マジやるべきなんじゃねーの?
01/27|Y!B 転載機能コメント(4)トラックバック(2)TOP↑
今回は、Y!B転載機能の欠陥を情報コントロールの観点から再検証する。

Y!B転載機能が二年間まったく改善されない様子を見て、最近こう思い始めた。
ひょっとしてこれは、インターネット界に新しい機運を起こすべしという大家(Y!B)のチャレンジング・スピリッツの表れか。あらゆる人が好き勝手な情報をやりたい放題広める時代の幕開けなのだーという、鼻息荒い意思表明だろうか。大家の元締め大元締めは、たまに無用に大胆な勇み足をやってけつかるので、まったくありえない話でもない。

それにしても、百歩譲って仮にそうだったとしても、転載機能はあまりにもお粗末すぎる。
記事作成者の著作権うんぬん、記事がチェーン化することによる不法行為の拡散がうんぬん、という話しは横に置く。もっと低次元の話だ。「本当にあの技術集団Yahoo!がリリースしたのか?」と言いたくなる欠陥が、Y!B転載機能にはある。以下、簡単に列記する。




(1)そもそも「デフォルト(転載)可」である時点で、システムとして不良

ラジオボタンを配置するならば、よりユーザーを保護する効用のある(=リスクの少ない)選択肢が「デフォルトON」であるべき。




(2)転載時に【記事作成者】【記事発信日時】情報が改竄される

Y!B記事を転載すると、記事の右下に「転載元」が表示&リンクされる。記事作成者のブログではなく、転載ボタンを押したブログ(直前の転載元)の表示&リンクだ。つまり、二次転載以降、記事作成者情報が記事から欠落してしまう。さらに、記事右上に表示されている「発信日時」は「転載した日時」に書き換わる。
ひらたくいえば、転載された記事は、誰がいつ発信した情報かわからない。というより、別人が違う日時に発信した情報にしか見えない。
情報を扱ううえで重要なメタデータ「作成者」「発信日時」が転載のたびに改竄されている、ということだ。




(3)閲覧を制限している記事であっても、完全公開スペースに転載できる

Y!Bには、特定の人だけに向けて記事を発信する機能がある。自ブログを「お気に入り登録」してくれたY!Bブロガー(「ファン」と呼ぶ)に限定して記事を公開できる。(参照ヘルプ
この機能、オーナー側には「ファン」登録を承認する権限がない。Y!Bブロガーなら誰でも、「お気に入り登録」さえすればすぐに、狙ったブログの限定記事を読むことができる(オーナーは不穏なファンを削除することはできるが、どうしても時間差がでる)。情報保護の観点からは不完全な機能だと言える。悪意で、または興味本位で、ファン限定記事を片っ端から閲覧して回るユーザーがいないとも限らないのだから。
さらに、ファン限定記事であっても「転載可」であれば転載できてしまう。転載先から再転載され、情報が拡散し続ける危険性もある。
「情報の発信対象を制限する機能(ファン限定機能)」と「情報を無制限に発信する機能(転載機能)」、相反する機能が同時に動いているわけで、システムとして設計不足・検証不足としか言いようがない。
【参考記事】
それはYahoo!ブログの脆弱性じゃないですか(Mugi2.0.1)
危険なのは転載機能だけじゃない(+LOVE2.0+)




(4)記事作成者が転載先の情報を改竄することができる

これはユーザーによって発見された(Y!Bが想定しえなかったであろう)欠陥なのだが。
画像を添付した記事・imgタグで画像を表示させた記事を転載させた後、記事作成者が「ある手順」を踏むと、全ての転載先の画像を一括差し替えることができる。手順についてはここでは照会しないが、その気になればいくらでも悪用できる、とだけ述べておく。私はまだ実例を見ていないが、同様の手順でFlashなどの動画ファイルを差し替えることも可能だろう。
(※動画ファイルを表示するタグはY!B非公認。しかしブログペットなどの設置に広く使われている)
他者の領域にあるデータを改竄することは、クラッキングと呼ばれても仕方のない問題行為だが、ここでは、配信した情報を後から修正することそのものを「悪質な行為だ」と即断することは控える。修正に至ったさまざまな理由・事情があるだろうから。だが、非常識だとは思う。常識的に許される範囲は、せいぜい、記事作成者が元ファイルを削除する(データを欠損させる)ところまでだろう。
さらに、「安全な情報」と見せかけ転載者を安心させて配信した後、転載先の閲覧者を混乱させたり、転載者の名誉を傷つけるような内容にデータを改竄する行為については、許されるものではないと私は考える。どのような事情があっても、そのような改竄行為は悪質かつ違法性の高い行為だと考える。

二次転載(無限転載)が可能なY!B転載機能には、旧い情報が増殖蔓延してゆくという問題点がある。
(※これは転載機能の「欠陥」ではない。「情報の孫コピーを許す」行為全般に本質的に内在している問題であって、手動コピペによる連続転載でも発生する現象)
この問題を解決しようと、あらかじめ記事に「テキストのスクリーンショット画像」を埋め込んで転載させ、「画像」を差し替えることで最新情報を通知しようとした事例を私は見た。記事作成者の心情はわかるが、やはりこの手法には賛成できない。転載先に最新情報を知らせたいなら、更新通知用の記事(当然、転載不可設定に)をあらかじめ作成し、本記事(転載許可記事)文末からリンクしておいて閲覧者を誘導する手法をお薦めする。




私は仕事がら「情報をどうコントロールするか・マネジメントするか」という視点で転載機能を見ているが、システム技術や用語には詳しくない。この記事の記述は、本職のかたから見れば不適切な部分があるかもしれない。専門のかたから見て、重大な錯誤・看過できない点があればご指摘いただきたい。

しかし、専門外でも、書かざるをえなかった。
著作権の観点・ユーザー保護の観点からいくら抗議しても、Y!Bは利用規約とガイドラインを盾に「全てユーザーの自己責任」とタカをくくって動かないかもしれない、と私は感じ始めている。もしそうならば、もう、こう言って攻めるしかない。

こんな欠陥システムを、ユーザーのたび重なる要望を無視して二年も放置し、さらに今後も放置し続けるのがY!Bの力量なのか。それは、元締めであるYahoo!が提供するあらゆるネットサービスには、重大な欠陥が潜み、検証されないまま放置されている可能性がある、ということではないのか。

組織とは複雑なものだ。巨大企業ならば、なおさらに。一セクションのサービス不良を見て全体の品質を判定することなどできない。それはわかっている。
しかし、企業が顧客・ユーザーとどう向き合っているか、何を重んじ何を軽んじているか、どういった弱点を抱えているかは、一部を見て全体を推し量ることができると私は思う。それは個別の現象ではなく、企業風土から発する根源的な問題だからだ。
01/22|Y!B 転載機能コメント(2)トラックバック(0)TOP↑
このブログで「Y!B転載機能撤去!」と耳ダコ連呼していこうと考えたとき、私は以下の三点に留意して記事を書こうと考えた。

(1)転載機能の危険性を客観的に分析し、Y!Bを糾弾することに集中する。
(2)転載機能を使用しているY!Bユーザーを目的もなく非難・揶揄しない。
(3)Y!Bサービスの特殊性をことさら劣点だと書き立てない。

自分自身が利用し、有意義な人脈ネットワークを築いているサービスだ。当然、愛着がある。だがそれだけではない。
Y!Bユーザーをむやみに非難・揶揄したり、ことさらY!Bを貶める表現を採ったりすれば、どれだけ正当な主張を声高に叫んだところで理解者は増えない(愉快がって追従する同調者は増えるかもしれないが)。まして、今まさに転載機能を使用しているY!Bユーザーにはそっぽを向かれると感じたからだ。

Y!B内で、転載機能を自発的に封印しているユーザーはごく一部だ。しかし、封印していないユーザー全てが、転載に依存して記事をロクに書かないロクでもない奴らだというイメージを(もし)持たれているなら、それはヒドい偏見だ。そういったユーザーもまたごく一部だと思う。
私の狭い活動範囲のなかでも、思慮深く転載機能を使っているユーザー、自分の記事をたいせつに書きながら<ごくたまに>転載を使用しているユーザーを多く見かける。著作権への理解が乏しかったとしても、常識と相手への配慮をもって穏当に転載機能を使っているユーザー達。彼らこそが最多数派だろう。記事「Y!B天災機能(9)」で【(C)温存穏健派】と書いた人々だ。

私の「批判の指先」をどこへ向けるか。その方角を間違えたとき、私は、転載でトラブルを頻発させる困ったかたがたのみならず、こういった真っ当なかたがたとの間にも溝を穿ってしまう。それだけは避けたい。そこで、批判の指先を、大家であるY!Bただ一点に向けようと考えた。

以上の理由で、これまで、敢えて書かなかったことがある。
実は、私自身は【(A)断固撤去派】であるとともに【(B)完全不要派】でもある。他人の記事を自ブログに転載しようとも、私の記事を転載させたいとも思わない。「ブログって自分で書くから面白いんやで~せやろ?」と思っている。
しかしこれは私個人の価値観にすぎない。転載機能を「使わない理由」にはなっても「撤去/抜本的に改善する理由」にはならない。そしてなにより、あまり性急に主張すると、批判の指先が【転載機能を搭載したY!B】ではなく【転載機能を使用しているユーザー】に向きかねない。だから私は、この点にいっさい触れずに連載を続けてきた。転載機能撤去という共通目標を持っていながら【(B)完全不要派】の主張を紹介してこなかった理由も、そこにある。


・・・そこにある。あった。のだが。そろそろ封印を解きますか。
ここからは、私の自分語り全開です。転載機能を否定されると腹がタつ人は、読まないでねん。
(お待たせしました)(誰に言っているのさ)(あ~これでやっと〆られる)

転載機能には、他者の記事に強く共感したことを示したり、優良記事を「自分が築いた人的ネットワーク」に載せて推薦するといった効用がある。私は、そういった心情と効用じたいは否定しない。ただ、あまりにも転載を多用するユーザーを見ると、残念には思う。

文章は、書くほど磨かれる。自分が何を伝えたいか、どういうふうに表現すれば伝わるか、あれこれ悩みながら、書いて、見返して、読み手からの反応を受け取って、楽しくて嬉しくて、また書きたいと想うことを繰り返して、研ぎ澄まされてゆく。
私が自分にまつわる文章を綴り始めてから、もうすぐ2年経つ。2年でここまで書けるようになった。他人から見てどうかはわからないが、私自身は、納得のゆく文章が書けることが多くなった。

私は、他人の記事を自分のブログに置きたいとは思わない。私のブログは私の文章を置く場だからだ。私の文章を転載して欲しいとも思わない。私の場にあってこそ、正確に意味を伝え得る文章しか書けないからだ。
私はメイン・ブログで著作権フリー書庫を持っているが、それでも転載許可していない。利用者には、たとえ転載するとしても、転載ボタンぽんでハイいただき、ではなく、せめて右クリックでコピーし自分の記事投稿画面を開いてペーストして「で、この文章を使って私は何を表現したいのだろう」と考えて欲しい。

転載機能の是非を問うとき、こういった考え方は、危険性も緊急性も訴えられない「精神論」の部類で、大家を動かすには全然説得力がない。ないのだが、とてもたいせつな考え方だと思う。私達が論じているのは【転載機能】ではなく、【ブログというツールに搭載されている転載機能】だ。「ブログとはなんぞや」という命題を無視して、転載機能の評価を決定してしまうことは、本末転倒だ。

ブログに何の価値を見出すかは人それぞれだから、私ひとりの価値観を基準にして、ブログの価値=「自分で文章を綴り自分を表現すること」などと断じてしまってはいけない。他のカタチも当然あると思う。他のカタチを実現するために、転載機能がなんらかの役割を果たしているなら、それを頭ごなしに否定してはならない。
けれど、最もオーソドックスな「ブログの価値」を転載機能が侵食しかねないならば、その点に鈍感であってはならないと思う。転載機能を糾弾する理由のひとつ、重い理由のひとつとして、数え上げたいと思う。私のためではなく、新しき表現者のために。私のような表現者、私を超える表現者の未来のために。


元Yahoo!ブロガーで、転載機能の問題点について継続的に記事を書かれている麦氏が、以下のように述べられている。

Yahoo!の転載機能を使わない転載

問題なのは,システムとして不備な点が多いのに手軽にできてしまうYahoo!の転載機能(転載ボタン)を使うことにあります。転載の意味がよく分かっていない初心者に転載ボタンをクリックさせることに問題があります。



最初に教わったこと・最初に馴染んだ環境が、良くも悪くもその人の未来を決定づけてしまうことがある。早い段階で、正規の手続き、常識的なルール、当たり前のマナーを知ることは、極めて重要だ。
転載機能をデフォルトで持たされた結果、Y!Bでブログを始めた初心者ブロガーが「他人の記事はボタン一発で転載できるもの、自分の場に持ってきていいもの」と思ってしまったら。誤った観念が刷り込まれてしまったら。その人にとって、たいへん不幸なことだと私は思う。

新しき表現者達のために、できるかぎり良い場を整えてゆくこと。その一環として、欠陥だらけの転載機能を糾弾してゆくこと。
「いまそこにある危険」を俎板に乗せた議論ではない。即効性のない話、ガンコで偏屈な話だ。けれど、私はこの思想を上位に位置づけたい。
議論を薄っぺらなモノにしないために、本来の目的を見失わないために、「転載機能は不要!」と主張するかたがた、ぜひ私達の議論に参加してください。ただし、指先は、必ず大家に向けてくださいませんか。お願いよ。
12/13|Y!B 転載機能コメント(21)トラックバック(0)TOP↑
「Y!B転載機能」を法律上どのように解釈するか、という議論がY!B内外で始まっている。

ここで各論の詳細を述べることは控える。理由は後で述べるとして、興味のあるかたはリンク先を参照していただきたい。(※先に議論がはじまったのはFD氏のブログだが、トンコ氏が各論の要点をまとめているので、そちらを上段に配した)

転載機能を撤廃させていくために(by トンコ氏)
ひっそりと転載機能を考えてみます・・・シリーズ(by FD氏)

えー、ここでちゃぶ台をひっくり返すようなことを書きます。
(この議論に参加されているみなさま、不快な想いをさせたら誠に申し訳ありません)

私はこれまで、Y!Bの転載機能について、【撤廃】ではなく【撤去】すべきだと書いてきた。
「Y!B転載機能をとっぱらえ!」と主張するとき、【撤廃】という言葉が、私には馴染まなかった。【撤廃】という言葉は、それなりの合理的目的を有していた制度/システムを、別の合理的な理由に基づき廃止するという意味合いに思える。そんな大層なモノに見えなかったからだ。あの「転載ボタン」が。

あのボタンはそもそも、「契約」だの「著作権の行使(あるいは放棄)」だのという高度な概念など内包していない、と私は思う。単なる【コピー(複写)ボタン】ではないだろうか。複写機のコピースタートボタンと同じことだ。【目の前の記事(※著作者が誰かはどうでもよい)】を、自分のブログにコピーする為のボタン。誰が誰のモノをなんの目的でコピーするのか、原本コピーなのか孫コピーなのか、それが法に抵触する行為なのかどうか、そんなこたあボタンは知ったこっちゃないのである。
Y!Bも、知ったこっちゃないと思っている。使い方は自己責任でお願いしますと言っている。ヘルプを見ればわかる。「ほかの記事の内容をコピーして、自分のブログ内に掲載できる機能があります。この機能を「転載」と呼びます。」という解説しか載っていない。なんのために使えとも、こういう使い方はまずいですよとも、一言も書かれていない。ガイドラインで「著作権者の許可を受けずに著作物を公開するなど、第三者の知的財産権を侵害したり、侵害を助長すること」を禁止行為に掲げておきながら、転載機能の法的位置づけはどこにも載っていない。

Yahoo!Blogsの設計段階で、記事作成者の著作権がどうこうという議論は、まったくされなかったのではないかと私は勘ぐってしまう。そうでなければ、記事作成者(著作者)の氏名表示権さえ保たれていない欠陥機能が搭載されるはずがない。だから私は【撤去】と書き続けた。とっととその【コピーボタン】を取っぱらえ、と。

転載機能にあえて法的な解釈を後付けするならば、「複製権の放棄」が一番近いのではないかと私はFD氏に提案した。いったん転載を許可すると無限転載が可能なうえ、転載された事実を確認することも、転載記事を回収(削除)することも、<機能上は>できないからだ。
この解釈はかなり無理があるのだが、「複製権の許諾」の方向で解釈しようとしてもまた別の無理がある(※要点はトンコ氏の記事を参照してください)。無理があって当たり前だ。法解釈をスッ飛ばして産まれたお手軽ボタンなのだから。

CC(クリエイティブ・コモンズ)のように、Y!Bが「転載機能を使用したさい、著作(権)者の権利が及ぶ範囲」を明示しオーソライズしてくれたなら、問題はもっと簡単だっただろう。記事作成者も転載者も、著作権法の範囲ではカバーしきれなくとも、なんらかの法的な保護を受けられただろう。しかし、Y!Bはそれを完全に怠っている。転載機能に欠陥があることのみならず、「どこもオーソライズしてくれない」という現実が加わっているからこそ、ユーザーは法的な保護を受けられ難い状態に放置されているのである。不完全な機能を「デフォルト可」で持たされながら!

転載機能を法律上どう位置づけるか。この議論そのものを、無意味だと言っているわけではない。おおいに有意義だと思う。検証すべき点は他にもある。たとえば、以下の二点。
(1)転載を全文複製と見なすか全文引用と見なすか
(2)記事が特定の個人・企業・団体等になんらかの負の影響を与えたさい、記事作成者と転載者に問われる責任の比重(参照:Y!B天災機能(5)
この件については、FD氏が記事を練っていらっしゃる気配がするので、私は下駄を預けます。トラックバックを参照してください(←明示の予約。なんちって)

だがいずれにしろ、議論の目的は、「現状の転載機能」に一義的な法解釈を与えることではないと思う。さまざまな解釈を議論者が出しあうなかで、それぞれの解釈に特有の「コンテンツの扱われ方」をはっきりと浮かび上がらせ、認識することではないだろうか。現段階では、私はそう考えている。
それが見えたら、次は議論のベクトルを逆に向ければいい。川下(現状)から遡っていた議論を、今度は川上(あるべき姿)から流し下す。まずは、もっとも重要な選択を問う。
(A)転載機能を撤廃するか
(B)転載機能を改善するか
ここで多数決を取る必要は無い。Y!Bを特徴付けているこの特殊な機能を、消すか、残すか、二案あるということを示し、次に(B)を選択した場合のユーザー側のメリットとデメリットをつまびらかにする。

転載機能を温存するなら、
(a)私達はどのように自分のコンテンツを発信したいのか。転載者にどう扱って欲しいか。
(b)そのためには、機能がどのような仕様であるべきか。何を許し、何を許さないか。
ここまでで、数パターンが出揃うと予想される。川の流れは一本ではないわけだ。法律に詳しくないブロガーの意見もどんどん吸い上げたらいい。過去の議論に参加した記事群を参照するのもいいだろう。そのうえで、さらに、
(c)法律上、合理的に解釈できる内容になっているか(=法的な保護を受けられるか)。
を検討する。著作権法で保護され難い内容ならば、Y!Bによるオーソライズを前提にしなければならないが。記事作成者がCCを表示させることで解決する道を探ってもいいだろう。
※参考記事:Yahoo! ブログの転載機能とクリエイティブ・コモンズ(by 麦氏)
そのうえで、さらに、
(d)転載による不法行為の拡散を予防するために必要・有用な機能を追加するかどうか。
(e)トラブルが起きてしまったさい、転載記事を回収(削除)する機能を追加するかどうか。
(f)以上、それぞれの仕様ごとに、ユーザーに問われる「発信責任」の重さがどう変わるか。
という順で検討すると、スッキリ整理できる。

・・・と、私は考える。音頭を取る気はないが。
(すみません)(おもしろそうな話題には乗ります)(ああなんて無責任な放言)

幾つもの支流を集めて海に出ることができたなら、素晴らしい議論になるだろう。アホタレ大家の無能ぶりを、ユーザーの力で笑い飛ばすことができるかもしれない。

しかし結論が出なかったとしても、仮に大家が動かなかったとしても、この議論には価値がある。
資格・能力・経験を問わず、誰でも自分の表現を発信できる時代が来た。Y!B転載機能は格好の素材なのだ。私達は、自分のコンテンツをどう発信したいのか、広くかつ安全に発信するにはどうしたらいいのか、発信に伴う責任をどう引き受けてゆくべきか。そういったことを考察するうえで。
「自由な議論」の真の意義と楽しさとは、結果ではなく、その過程にこそ宿っていると私は思っている。




※Y!Bの法的責任・道義的責任を明らかにする議論については、別途、記事を起こしたいと考えている。
と、今年1月にも書きましたが。忘れてたワケじゃありません。・・・怠けてただけです。
12/10|Y!B 転載機能コメント(15)トラックバック(1)TOP↑
連載初期の記事 Y!B 天災機能(2) で、私は以下のように書いた。

転載機能の不備の詳細について、今ここで詳しくは述べない。
不備を書き並べると、「不備が改善されれば使用できる」という議論が始まるからだ。
私は、転載機能そのものが危険、完全撤去、と考えているので、細かい枝葉の話は割愛する。



自分で言うのもなんだが、これは極論すぎる。いくら「機能改善など不要!撤去あるのみ!」と主張したところで、肝心のY!Bが動かないのだし、仮に動いたとしても【撤去】はまずありえないと私自身が思う。Y!Bとしても、それなりの意義を見出して機能を付けているはずだからだ。
(※100要求して20むしり取れれば祝着万々歳、と思っているので、自説は変えません)

現実路線としては、転載機能の問題点を抽出し「改善要望」をY!Bに提出するほうが堅実だ。
今回は、転載機能を温存することを前提に、改善点を整理してみる。

【欠陥是正】
(1)記事作成時のデフォルトを「転載不可」にする
(2)転載したさいは、転載記事であることがわかりやすく明示される
(3)転載記事に「最初の発信者のブログ名・ブログURL・記事URL」が明示される
この三点は、改善要望などというレベルではなく、欠陥是正の要求である。絶対必須の要件だ。

【改善要望α】
(4)転載機能使用時に注意事項をポップアップ表示するなどのアラート・ガイダンス機能
(5)記事作成者が、再転載の可・不可を選択できる機能
(6)記事作成者が、転載後の公開・非公開状態を選択できる機能
この三点は、転載機能をより安全に利用できるようサポートする機能といえる。著作権侵害・肖像権侵害記事の蔓延を予防するという点で、また記事作成者が自記事の頒布量と形態をコントロールできるという点で、実現すれば心強い機能だ。

【改善要望β】
(7)転載履歴(もしくは全ての転載先)を把握できる管理機能
(8)転載後の記事を、記事作成者が一括/個別削除できる機能
この二点は、転載でトラブルが起きてしまったさい、記事作成者が強権発動するための機能といえる。
しかし私は、この機能は不要だと考える。安易な転載許可/取り消しが相次ぎ、揉め事を多発させるだけだ。著作権侵害・肖像権侵害・名誉毀損記事などを大量頒布した記事作成者が証拠隠滅のために「一括削除」する危険性が無いわけでもない。不要というより、諸刃の剣となる危険な機能だと思う。
現在の転載機能はデフォルトが「転載可」で再転載(無限転載)が可能なので、転載許可するつもりの無かった記事を知らぬ間に大量転載される危険がある。そういったときには、心強い機能となるだろうが、私が挙げた改善要望の(1)~(6)が先に改善されていれば、使う機会はほとんど無いはずだ。


以上。こんなカンジで宜しいですか、Y!ブロガーのみなさま。
(誰に訊いているのさ)(足りない点があれば加筆します)(御指摘大歓迎)

これは私のアイデアではなく、Y!B内で多数のブロガーが繰り返し書いてきたことだ。繰り返し多数のYahoo!ブロガーの手で問題は整理され、改善点がまとめられ、Y!Bカスタマーに要望されてきた。ブロガーとカスタマーのやりとりを記録した記事も、Y!B内には多数ある。
(A)~(D)派間で、主張に多少の差異はある。だが、転載にまつわるトラブルで加害者・被害者が出ることのないよう、早急に機能を見直して欲しいという想いは、全ての利用者で一致している。

それでも、いまだに転載機能は一点も改善されていない。サービス開始から20ヶ月を数える現在でも。

このアホタレ大家を動かす手立てはあるのか。私にはわからない。諦めたほうがいいという声が常に聞こえる。それでも、転載機能に対する怒りの記事を起こすYahoo!ブロガーがいらっしゃる間は、ここは消さないでおこうと思う。更新の用意を整えておこうと思う。
メイン・ブログでは私はただの妄想鳥だが、ここでは、ブロガーなんでね。



【追記:2006/11/26】
内緒コメントにて、(5)記事作成者が、再転載の可・不可を選択できる機能>この部分を、選択式ではなく「二次転載は絶対に出来ない」仕様にすべきと思う、という御意見をいただいた。
複製を許可できるのは著作(権)者のみ、という原則に立ちかえれば、確かにそうあるべきだ。また二次転載には、元記事が修正された場合・削除された場合でも旧い情報が増殖蔓延してゆくという問題点がある。
私は、「著作物複製権を放棄する(二次転載を許す)ことで自作品を広く発信する」という使用法があっても良いと思っているので、コメント者とは意見を異にするが、貴重な御意見、誠にありがとうございました(深謝)。
11/26|Y!B 転載機能コメント(2)トラックバック(4)TOP↑
Y!B転載機能は、Y!Bユーザーにどのように評価されているのか。
もちろん人それぞれなのだが、大雑把に分けて、以下のように私は見ている。
(A)断固撤去派>転載機能そのものが危険、撤去以外の選択肢は無い、という主張
(B)完全不要派>ブログは自分で記事を書くもの、転載機能など不要、という主張
(C)温存穏健派>個人の裁量で使用する分には問題ない、残しても可、という主張
(D)積極推進派>記事を大々的に頒布するのに有効なツールである、という主張

ちなみに私は(A)断固撤去派 です。
Y!Bでは(A)(B)派と(D)派間の議論が活発だ。真っ向から対立している主張なので、当然といえば当然だが。(C)派は、目の前に機能があるから使用しているだけで、無ければ無いでかまわないから、議論の表舞台にはあまり出てこない(割合的には、最多数の一派だと思うのだが・・・)

(D)積極推進派の推進理由はいろいろだが、ひとつ危険な思想を見かけたので、私の覚書として記事を起こしておく。私が危険と感じる【思想】とは、

転載機能は、人助けに結びつく「善意の記事」を速攻で大量に頒布するツールとして有効

・・・というものだ。
以下は、Y!B内で実際にあった「善意の記事」例。いずれも大々的に転載が繰り返された。
(1)行方不明人・ペットの捜索記事
(2)悪質なTBスパム蔓延に対する警告記事
(3)難病児救済募金の呼びかけ記事
(4)自殺予告報道をきっかけとした啓発記事

上の記事の、どこがどう危険なのか。ごく簡単に指摘するならば。
第一に、誤った情報が記載されていたさい、無関係の第三者に被害を与える可能性がある(連絡先の表記が間違っていた場合など)。第二に、本人が開示を望んでいない情報が流布されたさい、人権侵害行為となる(行方居不明者の捜索などが典型。本人の意思で失踪している可能性だってある)。第三に、転載行為そのものが一種のチェーンメール現象と捉えられ、関わった全ての人が嘲笑弾劾される可能性がある。
※現行のY!B転載機能は、転載の転載(無限転載)が可能なので、チェーンメール的色合いがどうしても濃くなる。

厳しいことを承知で言うが、これらの危険性を人から教えてもらわなければわからない間は、転載機能など使うべきでないと私は思う。善意であろうがなかろうが。いや、むしろ善意であるほど危険だ。「善意」というフィルターで転載者の警戒心が薄弱になり、情報の正誤判断が甘くなってしまうからだ。

記事の影響力、予想されるリスク、自分に降りかかってくるであろう批判、これらを自らよく吟味し、そのうえで転載機能を使用して問題ないかを見極め、全てを引き受ける覚悟をもって発信することができないなら、転載機能の使用は控えるべきだし、まして大っぴらに推奨するべきでない。ただ記事を書き発信することと、頒布の意図をもって転載を推奨すること、このふたつの行為の質・問われる責任の重さは大きく異なる。
※ここでいう「覚悟・責任」には「損害賠償請求に応じる覚悟・責任」を含む。


転載機能がリアルの世界に実害を撒き散らすような【事件】など、起きてほしくない。転載に関わったブロガー全てが加害者となる。そんな事態はけして起きてほしくない。
私はこの連載を、なんの予備知識もなく悪意もなく無防備なままで、我知らず転載機能にまつわるトラブルに巻き込まてしまうかたがたが一人でも減るようにという想いで書いている。また【事件】が起きてしまったとき、何割かでもY!Bにその責めを負担させる道を探りたいという想いで書いている。

しかし、転載機能の危険性について充分知っている者が自ら【事件】を招いたのなら。
私は、冷ややかな目で関係者を眺めているだろう。
転載にまつわるトラブルは飽きるほど繰り返されてきた。学ぶチャンスは何度もあったのだ。それでも学ばなかった者に、私はまったく同情しない。




【追記:2006/12/13】
文章の一部に、転載機能を利用しているユーザーを無用に侮蔑している表現がありました。訂正するとともに、訂正前の文言で不快な想いをされたかたがいらっしゃいましたら、謹んでお詫びいたします。申し訳ありませんでした。
11/21|Y!B 転載機能コメント(4)トラックバック(0)TOP↑
転載機能をクソミソに貶している私が言うのもなんだが、ブログを始めて転載機能を見た最初の印象は、「おもしろい機能だな」だった。

表現したいものを自分の内でじっくりとあたため、言葉を選び形を整え、なんども推敲し、これぞというものを完成する。そのとき、著作物を自分の手元から放してでも、ひとりでも多くの人に見て欲しいと願うことは自然な感情だ。アクセスが欲しい・コメントが欲しいといった欲求よりもっと素朴な、人が表現するこころの核心から湧き上がる真摯な感情だと私は思う。
日記系の記事を書く人・言及リンクを多用した記事を書く人にはピンとこないかもしれないが、詩や小説を創作する人、特定分野の解説記事を書く人ならば、「自分の手を離れてコンテンツが一人歩きしてくれる機能」がどんな可能性を秘めているか、わかっていただけるだろう。しかも、宣伝や押し売りではなく「コンテンツに共感した人々」がつなぐネットワークに乗って拡散してゆくのだから、作り手冥利に尽きるというものだ。

私は転載機能をいっさい使用していないが、こういった「創作」「自信作」の発信に転載を使用しているブロガーの心情はわかる。もちろんみな素人だから間違い(誤情報の表記や権利侵害行為)が無いとは断言できないのだが、著作物に対する彼らの自負、彼らの心意気を応援したいと感じる。(私も創作しているからだ)
「転載機能完全撤去!」の持論に変わりはないが、温存だというなら、以下の機能改善だけを求めたい。
(1)記事作成時のデフォルトは「転載不可」であること
(2)転載したさいは、転載記事であることがわかりやすく明示されること
(3)転載記事に「最初の発信者のブログ名・ブログURL・記事URL」が明示されること
自信作を広く発信したい著作者にとって、もっとも重要な要件は「他人の名を騙られないこと(氏名表示権)」と「記事が改変されないこと(同一性保持権)」なので、これくらいが改善されれば充分である。

転載履歴がわかるようにして欲しいとか、著作者の判断で転載記事を一括・個別削除できるようにして欲しいといった改善要望もあるようだが、これらは不要と私は考える。少なくとも、著作者の当然の権利として法律上担保されているものではない。
さらに押して言えば、「なにかあったときは著作者側で転載記事を削除したい」というのは著作者の身勝手である。複製を許すということは、複製物(転載記事)をプレゼントした(譲渡した)ということで、相手の所有物となったものを後から返せだのやるつもりは無かっただのというのは感心しない。よほど合理的な理由がなければ、相手も納得しないだろうし、話がこじれて万一裁判沙汰になっても、著作者側に絶対有利な判定が下るとは考えないほうが良いだろう。
※複製にあたっての許可条件・使用条件をわかりやすく明示したうえで、条件が守られていない複製と判定された場合には、さかのぼって複製の許可を取り消すことができると考える。

なんでこんなことを書くかってぇと。昨年8月、某所でおもしろいアンケートをやっていたのを思い出したから。
+らぶCOMPANY 2.0+ 【緊急】転載機能アンケート
このアンケートに、私は以下のコメントを残した。

転載者の趣旨が賛同/参照/批判いずれかの際(スクラップ目的は保留します)、転載元様は賛同ならばOK、参照・批判ならば著作権侵害だと怒り出しそう。ブログは賛同者を募ってプロパガンダを形成する場ではないと、私は思っていますので、参照・批判を受け入れられない転載許可記事がYahoo内に溢れるくらいなら、すっぱり失くして欲しいです。<2005/8/22(月) 午前 11:20 [ wataritori_novel ]>



誰だって批判はされたくない。まして自信作を肴に痛烈な批判を受けたら、精神的打撃も大きい。しかし記事(にかぎらず表現物)というものは、人目に触れるほど否定的意見が立ち現れてくるものだし、自分の手から離れたコンテンツがどう扱われるかはわからないものだ。

もちろん著作者人格権を侵害するような扱われかたは論外だ。しかし広く発信したいと意思表示し行動(転載許可)した以上、多少のことは良いも悪いもひっくるめて自分の著作物を相手に委ねるという覚悟が必要だと私は思う。そしてまた、そうできる「自信作」をこそ転載許可すべきだと考える。

Y!Bの転載機能は撤去して欲しいが(なんべんでも言ってやる)、自分が表現するということ、表現の完成度を高めるということ、表現物をどこまで他人に解放しつつどこまで利用を制限するかということを考えるうえでは、格好の材料だ。
機能不備が多すぎるそのアンポンタンぶりおかげで、考えるネタは尽きない。転載をネタにしたY!Bブロガー同士の議論も、まいど素晴らしく白熱する。議論に参加したり傍観したりする者としては、なかなかおもしろい。

まー、Y!B転載機能のメリットって、それくらいっすね。私にとってはね。
08/27|Y!B 転載機能コメント(6)トラックバック(1)TOP↑
昨年末からはてなブックマークを見るようになって、Y!Bの転載機能の特性がひとつわかった。
(誇り高きはてなユーザーから、「あほーな転載機能と比べて語るな、汚らわしい」と怒られそう)

ハイパーリンクで繋がっているインターネットは、情報を引いて(pull)取り出すシステムだ。
この「引く」という動作をするか、しないか。かなりの個人差があるだろう。そしてただのテキストリンクでは「引かない」人の方が圧倒的に多いだろう。それをどうやって「引かせる」か。

で、はてなブックマークというのは、情報にブックマークというメタ情報を付けさせ、さらにメタ情報の分析値(=ブックマーク合計数)を見せることで、情報を押し出す(push)サービスなのだな、と見た。
まあ、クチコミのシステムなわけですが。【情報に付随するメタ情報の多さ】をもって情報を押し出すという点がおもしろいな、と思う。リアルで喩えれば「あの株は買いだ、昨日の出来高が○○だったから」というカンジか。メタ情報の分析値が元情報の価値を押し上げる(一時的にだが)、というシステム。

で、転載機能だ。この機能、Y!Bは「良質な記事を推薦する」目的で使って欲しかったのではないか、と私は思っている。クチコミのシステムとして機能させたかったのではないか。
はてなブックマークと違い、転載機能は【情報そのものを目にする機会の多さ】をもって情報を押し出す。リアルで喩えれば「あの本は買いだ、あいつもこいつも買って読んでいるのを見たから」といったところか。

はてなブックマークのほうが洗練されていると考えるかたは多いだろう。転載によりコピー情報が溢れることに眉をひそめるかたも多いだろう。が、私は違う感想を持っている。ブックマークシステムと転載システムは、志向が違っているだけで、「ユーザーが価値があると判断した情報をpushするシステム」としては同列のものだ。
ただ、ブックマークシステムは【A:情報を収集する人(能動的な人)】志向、転載システムは【B:情報を待っている人(受動的な人)】志向だな、と感じる。そしておおかたの人は【B】志向だ、と私は考える。

ブログ界に浸っていると、ふっと、【A】でない人は世界から取り残されるんじゃないかと思うことがある。
が、現実は逆かもしれない。真に情報を掴んでいるのは【B】かもしれない。ネットに漬かり、鮮度抜群だが生き残るかどうかは定かでない情報の芽を追い続けることに時間を割く【A】より、選別され価値が確定した情報に効率よく目を通し残った時間を別のなにかに振り分けている【B】のほうが、世界を掴んでちゃんと歩いているのかもしれない。(かもしれない、ですよ)。
そうした【B】志向の人にとって、価値ある情報とは「メタ情報の合計値」ではなく、「今、目の前に掲示されているひとつひとつの情報」だ。そんな非効率的なとかweb0.0的なとかクサしても仕方がない、そうなんだからそうなんだ(力説)。

会社にLANを敷き、グループウェアを導入し、重要な情報を繰り返し回覧しても、見てない奴は見ていない。自ら情報を取りに行こうとしない。パソコンのモニタにメモを貼り付けると、やっと見てくれる。そういう人間がいる。注意すると「見るべき情報が多すぎて、見たんだけど覚えてない」などと開き直る。最もインパクトのある情報は「今、目の前にある情報」だという人間がいる。はい、私のことです

そういう人間でも、しだいに自分で検索すること、洗練されたサービスがあることを知る。そうしてゆっくり変化してゆけばいいと思う。
優れたメタ情報提供サービスがあることは素晴らしい。けれど、まだまだネット慣れしていない層を対象に、リアルに近い感覚をネット上に展開できないかと試みる、そうしたサービスがあることも、私は素晴らしいと思う。

転載機能は欠陥だらけなので撤去すべきだが、「野暮ったいシステムだから不要」とは私は思わない。
そういう野暮さも、必要ですよ。裾野を広げるためにはね。




※そうそう、おもしろいコメントをいただいた。
「スタッフブログでお手本を作ってお知らせを転載させればいいのに…なんて思いました」byらぶさん
これは本当にいい案だ。転載の利点を活かしきっている。
「お知らせ」をろくに読まないユーザーと、転載機能を重宝するユーザーって、おもいっきりカブりそうでしょ? だ・か・ら(笑)
04/18|Y!B 転載機能コメント(6)トラックバック(0)TOP↑
今回は転載機能を、著作権ではなく、直リンクの点から考察。

Y!Bには(gooのような)絵文字・アイコン等をユーザーに提供するサービスが無い。そのわりに、アイコン・ライン画像・GIFアニメ等を常用しているブロガーが少なくない。

記事を華やかに見せたいという欲を、私は否定しない。
ていうか、Y!Bのあのショボすぎるテンプレでは、自前で装飾したくなるのが人情だと思う。「記事枠デカイ、背景真っ白、フォント小さい」三拍子揃っているので、相当の文字量を書けないとスカスカで、見た目の据わりがすごく悪い、あのテンプレは。

ということで、Y!Bでは素材絵を掲載した記事が爆発的に転載される。記事【Y!B天災機能(2)】で紹介したgoo絵文字事件のように、外部サービス・素材サイトの素材が再頒布されるという事件まで起きた。
Y!Bのなかには自前で素材を描き、記事に添付アップする形で公開してるユーザーがいる。このようなお手製素材も、転載機能を使って相当数広まっているようだ。

さて、ここで【直リンク問題】。
実は転載機能を使っても、添付ファイルは複製されない。記事中の画像指定URLも書き換わらない。画像は転載元記事への直リンク状態となって表示される(再転載された場合も同様)。
ひらたく言えば、「素材集の転載記事=直リンク集記事」ということだ。
この「直リンク集記事」から素材のURLを拾って作成された記事群は、素材が格納されているサーバーに集中負荷を掛けることになる。

素材がY!Bサーバー群(←あえて『群』と表記する)内にある場合は、記事作成者のデータが割り当てられているサーバーに集中的に負荷が掛かる。好ましい状態とは言えないだろう。まあ、話がY!B内に留まっている間は、私はどっちでもいいです。あまりに重くなるなら外に出るし。

問題は、記事作成者が外部サーバーに直リンクしていた場合だ。
Y!BとY!Bユーザーがぐるになって悪質な嫌がらせをしている、としか見えない事態になる。
直リンク素材を載せたY!Bブロガーの記事が開くたび、どこかの外部サーバーに負荷がかかる。
(1)どこかの素材サイトか
(2)良心的に素材をアップロードし使用している誰かのホームページか
(3)記事作成者が「レンタルサーバー」「プロバイダ契約時に付いてきたの無料HP開設スペース」等に素材をアップロードしてリンクした場合は、契約先のサーバーか
いずれにしろ、記事作成者ではない【第三者】にシャレにならん迷惑がかかる。

月々数百円で借りられる一般的なレンタルサーバーと、Y!Bサーバー群とでは、さばけるトラフィック量の桁が違う。回線の充実度も全く異なるはずだ。Y!Bから外に輸出されたトラフィックは、Y!Bユーザーの想像以上に迷惑がられるに違いない。「鼻つまみ者」ってこういうことを言うのかもなぁ。

転載機能は素材ファイル再頒布(著作権侵害行為)の温床となっている。と同時に、膨大なトラフィックをY!Bの外へ慢性的に輸出する懸け橋にもなり得る、ということだ。

Y!Bの元締めYahoo!は御自身を「インターネット業界のキープレイヤー」と自認している。が、Y!Bが転載機能を放置している間は、私には「インターネット業界のジャイアン」にしか見えません。

あっ、これって ジャイアン@ドラえもん に失礼でしょうか?
04/18|Y!B 転載機能コメント(25)トラックバック(1)TOP↑
前回の記事で、無限転載によって訴訟・損害賠償になりうるケースを挙げたが、実際に訴訟が起きた場合を想定してみる。著作権侵害でも名誉毀損でも事実無根の誹謗中傷でもなんでもいい。次のうち、他者の権利を侵害したとして糾弾されるべき「者」は、誰か?

(A)記事を作成し、転載を許可したブロガー
(B)記事を転載したブロガー
(C)欠陥だらけの転載機能を搭載したY!B

(A)池に石を投げ込んで波紋が起きたようなもの、と喩えれば、石を投げ込んだ者(記事作成者)が悪いとなるし、
(B)麻薬の密売みたいなもの、と喩えれば、売った者(記事作成者)も買った者(転載者)も悪いとなるし、
(C)元旦の明治神宮で将棋倒し事故が起きたようなもの、と喩えれば、事態は不可抗力で敢えて言うなら雑踏警備に手落ちがあった所轄の警察署(Y!B)が悪い、となる。

こういった問題を喩えで斬るのは不適切なんです。どうとでも書けるから。
てことで、コケそうな予感はするが、誰が「悪者」か、理詰めで考えてみよう。私はY!Bを悪の親玉として袈裟懸けに斬りたいのだが、この記事ではいったん(A)(B)だけに絞って考える。
(※法務の専門家の間でも見解が別れそうな問題です。これから述べる考えは一私見に過ぎません。おもろいと感じられたかたは、御自分で検証してみてください)

転載機能問題をつらつら眺めていて、わかったことがある。
ブログで記事を書くということは、「表現する」+「発信する」ということ。
ブロガーは「表現者」であると同時に「発信者」でもあり、「文責」を負うと同時に「発信責任」も負っているのだなあ、と。

◆ブロガーは自らの記事に対して「文責」を負う。記事の内容について問い合わせ等があれば、応じる道義的責務を負っている。(この点は異論はないだろう)

◆ブロガーは同時に「発信責任」を負う。記事を【誰に向けて(発信対象)】【いつ(発信のタイミング)】【どのような手法で(発信手法)】発信したかを評価され、不適切な発信方法によってなんらかの負の効果を引き起こした場合は、道義的責任・法的責任を問われる。場合によっては訴訟・損害賠償請求に発展することもある。

前回の記事で、記事がセーフかアウトか見極めは難しい、と書いた。記事は「表現内容」だけでなく「発信方法」もあわせて評価されている。
同じ記事内容であっても、閲覧者が数十人と数万人では受け取られ方がまったく異なる。既に大きく事態が動いてしまった過去の現象を今現在起きていることのように批評すれば、旧い情報など誤った情報に等しいと批判されるだろうし、レイティングを要する記事(たとえば18禁みたいな記事)をなんの断り書きも無しにブログで発信すれば、サービス提供側からバッサリ削除されるだろう。

ふつうブログは個人運営だから、「文責」と「発信責任」は一体で、別けて考える必要が無い。どちらもひっくるめて「文責」と扱って論じられることが多いし、それで問題ない。
が、無限転載の責任の所在を追及するとき、【ひっくるめ文責論】では限界がある。そこで「文責」と「発信責任」を別けてみた。逆にいえば、「文責者」と「発信責任者」が分離してしまうこと、これが転載問題の核心だっちゅうことです。

さて、Y!B内で、ある企業の名誉をメッタメタに傷つける記事を書き、転載を許可したブロガーがいると仮定する。
◆執筆したブロガーは「文責」と自ブログの閲覧者数分の「発信責任」を負う。
これは当然。で、この記事が転載されたときは、
◆「文責」は執筆者にある。しかし転載先の閲覧者数分の「発信責任」は転載したブロガーが負う。
・・・とするのが妥当だと、私は考える。
「文責」はどこまでいっても執筆者にあるから、執筆者は転載先も含めた全ての閲覧者に対して「問い合わせに応じる責務」を負っている。しかし「記事によって権利を侵害された/経済的損失を被った」という請求に対しては、転載者がそれぞれ個々の閲覧数分だけの「発信責任」を負っている、と考えた。
「私は転載しただけで、書いたのはアノ人」という言い逃れはできない、あなたには「発信した責任」があるでしょうよ、ということ。

とここまで書くと、最初の発信者にだって「転載を許可した」責任があるのでは?と考えるかたがいらっしゃるだろう。私ならそう考える。
私は、転載を許可した時点で、執筆ブロガーは能動的に「配信責任」を引き受けた、と考える。彼には記事を広く配信(流布)する意図があった、だから転載先の閲覧状況について、まったく無責任ではいられない、と考える。
※「配信責任」という言葉は、誤情報を配信し名誉毀損問題を引き起こしたメールマガジンを読んで思いついた。

まとめると、
(1)記事を執筆し発信したブロガーは「文責」「発信責任」を負う。
(2)執筆ブロガーが転載を許可した場合、一次転載件数分の「配信責任」を負う。とともに、転載先の閲覧者数分の「発信責任」を転載者と共同で負う。無限転載を許容した場合は、全ての転載件数分の「配信責任」と、全ての閲覧者数分の「発信責任」を転載者と共同で負う。
(3)転載者は自ブログの閲覧者数に応じた「発信責任」を負う。執筆ブロガーが再転載を許可していないにも関わらず、再転載を勝手に許可した場合には、転載件数分の「配信責任」と転載先の閲覧者数分の「発信責任」を共同で負う。

さて、メッタメタの名誉毀損記事が無限転載された結果、とある企業の業績がガタ落ちになり、訴訟を起こされたと仮定する。誰がどの程度の責任を問われるか?
(1)当然、執筆ブロガーには最初の「発信責任」が問われる。
(2)転載者に充分なリテラシーがあり、自らの転載(発信)行為に責任を持てる人間であれば、転載者の「発信責任」が問われ、執筆ブロガーの「配信責任」は問われないかもしれない。が、転載者が未成年であるなど、責任を追及できない(賠償能力も無い)人間である場合は、被害者救済のため転載許可者の「配信責任」が重く問われるかもしれない。
(3)執筆ブロガーが無限転載を奨励していた場合は、「配信責任」が重く問われるだろう。
・・・と私は予測しました。

私の予測は誤っているかもしれない。が、ひとたび司法のメスが入れば、無限転載=「誰も責任を取らなくてよい不可抗力」などと見逃されるはずはないことだけは確かだ。誰もが、応分の責任を取らされるはずだ。

Y!Bブロガーが転載を許可するとき、または転載ボタンを押すとき、彼らは自らの行為の「責任」を自覚しているだろうか?
答えは、十中八九「NO」だ。

「この記事が気に入ったら転載してくださいね♪」「転載させてください♪」「転載してくれてありがとう♪」なんて浮かれてる場合じゃないんだけどなあ。
なにか事が起きたとき、彼らはどうするつもりなんだろう。潔く責任を果たすと表明する人、必要以上に自責の念にかられる人、他人に責任をなすりつけ平然とする人、さっさと記事を削除し何事もなかったようにふるまう人・・・いろいろなんだろうなあ。
そのとき、彼らはもはや「表現者」でも「発信者」でもなく、ただ一人の人間として己の「人格」を公衆の面前に晒すことになるわけだなあ。ぞっとしないね。私はそんなゲテモノ劇、おもしろいとは思いませぬ。見たくも無い。
そんな悲劇が起こる前に、Y!Bよ、頼むから転載機能をとっとと撤去してください。
02/02|Y!B 転載機能コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
転載機能が引き起こすトラブルがどんなものか、考察してみる。

手始めに思いつくのは、(1)著作権侵害にまつわるトラブルだ。実際にY!B内で頻発しているし、Y!Bの相当数のブロガーを巻き込んで議論が起きた。
しかしこれは問題の1パターンに過ぎない。記事が無限転載されることで、訴訟・損害賠償問題に発展しかねないケースは、他にもある。

私は、以下のような記事が無限転載されたときも、goo絵文字転載事件に匹敵する(もしくはそれ以上の)深刻な事態になると予測している。

【肖像権の侵害】
(2)一般人の写真を掲載した記事
(3)著名人/芸能人の写真等を掲載した記事
【プライバシーの侵害】
(4)個人の私生活を暴露した記事
【名誉毀損行為】
(5)事実を挙げ、特定の個人・企業・団体の名誉を傷つける内容の記事
【侮辱行為】
(6)事実を示さずに、特定の個人の人格を侮辱・蔑視する内容の記事
【風評被害】
(7)事実無根の噂(いわゆる流言・デマ)により、特定の企業・業界などの経済活動に深刻なダメージを与える記事

(1)~(6)については、刑事事件として不法行為として訴訟・損害賠償請求を起こされうる。(7)の行為を罰する法律はないが、ターゲットにされた企業・業界は甚大な経済的損失をこうむるわけで、震源地(最初の発信元)が特定されれば損害賠償を請求される可能性は高いだろう。

これらの記事は、転載されなくとも問題含みの記事だ。そういう意味で「転載以前の問題、書き手の資質の問題」と考えるかたもいらしゃるだろうが、私は意見を異にする。

確かに、記事そのものに問題はある。しかし、記事がたかが個人ブロガーの一過去ログにすぎない状況と、無限転載され広く流布され続ける状況とでは、侵害行為の範囲と深度がまったく違う。
加害者・被害者が1:1の関係ならば、被害者がまあまあと笑って見過ごすか、目くじら立てても「記事訂正&謝罪記事の掲載」を要求し事態の収拾をはかろうとするだろう。しかし無限転載となったらそれでは収まらない。
私が転載機能を徹底的に厭う理由は、そこだ。転載機能は、当事者同士で交渉し解決することができない回復不能の被害を撒き散らす。悪意の無いワンクリックが、甚大な被害を産む。だからだ。

(1)~(7)にあたる不適切な記事を撲滅しよう、こういう記事を初心者が書かないよう啓蒙しよう、そうすれば転載機能は温存できると主張するかたもいらっしゃるだろうが、私は意見を異にする。

適切な記事/不適切な記事を、どこで切り分けるのか。誰が判断するのか。見極めは困難だ。
著作権ひとつとっても、可とも不可ともつかないグレーゾーンが幅広くある。肖像権を気にしすぎれば家族旅行の写真ひとつ載せられない、となるし、プライバシーの侵害を危ぶめば子供の成長記録をログすることも不可、となる。名誉毀損問題にいたっては、さらに難しい。「○○のサービスはなってない、あんな会社はそのうちダメになる」と書いただけで、名誉毀損になる可能性があるのだ。記事の影響力しだいでは。

私が書いているこの記事も、Yahoo!の名誉を傷つける内容だ。「公益(公共の利益)のために」という目的性をもって、さらに記事の内容が真実であると証明できるから(具体的には、goo絵文字事件や転載機能の問題点を糾弾する多数のブロガーの記事の所在を掴んでいるから)書けるのであって、やみくもに「転載機能撤去!Yahooのアホー!」と叫んだらば、Yahoo!から訴えられるかもしれない。
さらにいえば、今現在 Y!Bで活動し「ユーザーとして我慢ならンのじゃ! 文句言わせろ! ガゥガゥ!」という子供じみた書き方だから、まだ愛嬌ですんでいるのであって、これ以上理詰めで書くとヤバイだろうと私は踏んでいる(内心はビクビクの綱渡りの心境です)。

ある記事がセーフか、アウトか、判断は非常に難しい。ある要件を満たせばOK、これが欠けたらNG、などと簡単に片付けられるものではない。なぜなら判断するのは「人」だから。記事の文言、記事が書かれた背景、書き手のキャラクター、なにより記事の影響力(=閲覧者数)で総合的に判断されるものだから。
記事が単体で読まれることはあっても、単体で断罪されるべきではないと、私は考えている。ブログ全体の構成・過去記事とのつながり・ブロガーの個性・ブログの知名度とあわせて判断されるべきだ。だからこそ、記事はブログという「場」の内に留まるべきだ。この点を忘れてはならないと思う。

転載機能とは、記事をブログという「場」から切り離し、誰も責任を負えない状態に置いて無限量産する機能だ。絶対に不要だ。私は何度でも、そう主張する。
01/29|Y!B 転載機能コメント(2)トラックバック(0)TOP↑
Y!Bのユーザー層は、どのような構成なのだろう?

私は一ユーザーに過ぎない。目が届く範囲はごく狭い。Y!Bが抱える数十万のアクティブユーザー層分析など、私にはできない。
しかし、こういう感触はある。Y!Bユーザーには、【若年層(10代・20代)】【学生・主婦など社会経験に乏しい層】【ネット初心者、もっといえばパソコン初心者達】が、多いのではないか?
「やっていいことと悪いこと」の区別が付かない、リテラシーが低い、低くて当たり前の背景を持ったユーザーが相当数いる、ひょっとしたら彼らこそが中核ユーザーではないか?
前記事で書いたgoo絵文字転載事件を眺めていると、そうとしか思えない。(偏った見方であることは自覚しているが)。

私は、初心者のリテラシーが低いことを恥だとも罪だとも思わない。少なくとも「重大な過失だ」「悪質な行為だ」と責めたてられ損害賠償を迫られるほどの咎だとは思わない。勉強しないヤツが痛い目にあうんじゃ、などと高みに構えるつもりもない(ただし、自己防衛のために勉強は必要です)。

ブログというツールを得て、誰でもネットで発信できる環境が整った今、サービス提供側がユーザーに対するリテラシーの期待値を下げるべきだと考えている。ユーザーのリテラシーの低さを補い、ユーザーが危険を冒さないよう、最大限の配慮を商品の機能とデザインに盛り込むべきだと思っている。
転載機能などもってのほか。こんな爆弾を全ての記事に標準装備させて、いったいどういうつもりなんじゃい。アホか、Y!Bよ。

企業がユーザー特性を把握し、ユーザーの行動パターンを予測し、商品を設計することは、常識だ。
モノ創りの企業ならば、ユーザーが自社の製品をどう使うか考え、「想定外の事態」が起きないようあらゆる可能性を検証して設計している。素材を選び、形状を整え、取説・注意書きの文言と表示場所に細心の注意を払う。(玩具メーカーが代表例だろう)。
PL法(製造物責任法)の精神に鑑みれば、企業に消費者の安全を守る義務があることは明白だ。(※注記1)
参照:http://www.consumer.go.jp/kankeihourei/seizoubutsu/pl-j.html
 (↑ページ下の「Q&A」がわかりやすい)

私は憶測することしかできないが、Y!Bはユーザーの年齢層・性別傾向・ライフスタイル(職業)分布を、かなり正確に把握しているはずである。あんなデカイ企業がマーケティングしていないはずがない。(していないなら、Yahoo!にとってブログ部門は立て捨て部門だということだ)
リテラシーが低いと充分予測できるユーザー層を抱え、それを把握しながら、Y!Bは彼らに転載機能を使わせ続けているのだ。しかも、デフォルト「可」で!。もう一回言ってやるわい。アホか、Y!Bよ。

ましてY!Bは、ターゲットを若年層・主婦層・ネット初心者に据えている。私はそう睨んでいる。(違うというなら、他のどの層を狙っているのか釈明してみれ、と言いたい)
あの「難しくないよ、簡単だよ、さあみんなでやってみよ~」と謳うお気楽過ぎる開設ページ(カット絵・ポップ体ぽいフォントを見ても若年層・女性をターゲットにしているとわかる)、「いらんこと考えるな、書きたいことだけ書いてほれ、投稿ボタンを押せ!ポン!」と背中を押すシンプル伊豆ベストなあの記事投稿フォーム、「あんたたちほんとにヘルプなんか読むの?読んでわかるの?Y!Bなんてヘルプが要るほど難しく作ってないわよ、ふっ」とばかりに投げやりなあのヘルプ、どこをどう見ても、【ブログ初心者】以前に【ネット初心者・パソコン初心者】を想定しているとしか私には思えないんだよ。なのに転載機能ってどういうことよ。何度でも言ってやるよ。アホか、Y!Bよ。


・・・い、怒りまくってたら疲れた(ゼイゼイ)

ともかく、今回、私が言いたいのは(まだ言うか)、こういうこと。
Y!Bは、自らが狙った顧客を開拓し、捕まえた。企画は成功したのだ。
だからこそ、顧客特性にそぐわない転載機能を搭載した責任は重い。「想定外」という言い訳は立たない。想定しろや、それくらい。あんたらが狙ったユーザー層に転載機能を持たせたら、遠からず暴走することくらい、たかが一ユーザーの私ですら予見可能なんだからさ。
頼むよ、ほんとに(ゼイゼイ)。


(※注記1)
サービス(役務提供)・ソフトウェアはPL法適用の対象外。よって転載機能の欠陥をPL法に掛けて訴えることはできない。が、PL法の「精神」をもってY!Bの道義的責任を問うことは可能、と私は考えている。この件は別途、記事を起こす予定。
01/27|Y!B 転載機能コメント(4)トラックバック(0)TOP↑
YAHOO!BLOGS(以降、Y!Bと略)の天災、もとい転載機能を簡単に説明する。

(1)記事作成時、デフォルトは「転載可」にチェックが入っている。
(2)そのまま記事を作成すると、記事の右下に転載ボタンが出現
(3)Y!Bブロガーが転載ボタンを押す。記事を自ブログのどの書庫(カテゴリーのこと)に転載するかを選択する。
(4)記事が転載される。コメント/トラックバックとも受け付けられる状態。転載元がリンク表示される。記事の下にまた転載ボタンが出現。
(5)Y!Bブロガーが転載された記事の転載ボタンを押す・・・以下(3)(4)の繰り返し。ただし、転載元として、ひとつ前のブログ名がリンク表示される

要するに、
◆「転載」の危険性を意識していないユーザーの記事を、(1)(2)
◆Y!Bブロガーであれば誰でも、無断で転載でき、(2)(3)
◆さらに転載の転載(無限転載)が可能で、(4)(5)
◆しかも二次転載以降、文責者が誰かわからなくなる(5)
という、もう、アホかとしか言いようがない機能だ。

転載機能の不備の詳細について、今ここで詳しくは述べない。
不備を書き並べると、「不備が改善されれば使用できる」という議論が始まるからだ。
私は、転載機能そのものが危険、完全撤去、と考えているので、細かい枝葉の話は割愛する。


転載によってユーザーが加害者・被害者になる代表的なケースは、著作権侵害にまつわるトラブルだ。

【1】一次転載によって、Y!Bブロガーの著作権を侵害するケース
Y!Bブロガーが作成したオリジナル記事(テキスト・画像ファイル等)を、他ブロガーが無断で転載するケース。不注意の場合と、悪意に基づく場合がある。
このトラブルを避けるため、「転載前にコメントで許可を」「転載した記事は元記事にトラックバックを」という<ルール・マナーの徹底>で解決しようとする主張もある(悪意の転載者には無意味な主張なのだが)。

このケースは、当事者にとっては深刻だと思うが、まあいわば内輪の揉め事だ(失礼ながら)。サービス運営者が規約で謳う「ユーザー間のトラブルは当事者間で解決が原則」から一歩も出ない領域で、実は私は、このケースには興味が無い(失礼ながら)。

本当に怖いのは、ここからだ。

【2】著作権侵害を犯している記事が無限転載されることによって、侵害行為が拡散するケース
元記事じたいが著作権を侵害しており、さらに記事作成者が無邪気(無自覚)に「自由に転載してくださいね♪」とか浮かれて宣言してしまい、悪意のない転載が爆発的に広がるケース。
Y!Bでは過去、アイコン等の素材ファイルの無限転載(無断再頒布行為。当然、悪質な侵害行為)が起きている。また、素材配布元へ直リンクした記事が無限転載される可能性もある。(ファイル添付と直リンクでは素材の置き場所が異なり、厳密には侵害の内容が違うのだが、問題の本質は同じなので同ケースとして扱う)
前出の【1】が再転載された場合も、侵害行為が拡散するという点でこちらに入れる。

Y!B内で、転載機能の危険性について議論が起きたのは、この現象がきっかけだ。悪意の無いユーザーが多数巻き込まれるという点で、【1】とは一線を画する。顕著なケースは、goo絵文字転載事件だろう。
gooブログサービスがユーザーに提供している絵文字(アイコン)が、Y!B内で転載機能を使って爆発的に広がったという事件。goo側から違法性を指摘され、これを警告したあるY!Bブロガーの記事が(これまた転載で)広がり、事態は収拾した。この事件は、Y!B転載トラブルの特性を如実に現している。

私がここで注目しているのは、ユーザーの質ではなく、層だ。
この件、おそらく、違法だと当事者(goo)が見解を示さないかぎり、無限転載はさらに長期間に及んだろう。Y!B一部ユーザーのリテラシー<ネットリテラシー・情報リテラシー・権利問題に関するリテラシー等>は、それくらい低い。
 ※私はこの件に関わったブロガーを馬鹿にしているのではない、現実を述べている
逆に、一罰百戒寸前の警告が出たとき、事態は劇的に収束した。これは何を意味しているのか。

ユーザーの質が悪いのではない(と思いたい)、リテラシーが低くて当たり前の【ある特徴を備えたグループ】がY!Bの中に相当数いる、ということだ。
私は、彼らをY!Bユーザーの代表層として捉えるべきであると考えている。

※長くなるので、いったんここで記事を分割します。
01/27|Y!B 転載機能コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
YAHOO!BLOGS(以降、Y!Bと略)には、ブログらしからぬ機能がアレコレ付いている。

私が「うっとおしい、とっぱらえ」と思っている機能は、
◆IDの下に表示される★(星)マーク機能
【説明】
コメント数、被トラックバック数、傑作ボタン押され数、転載ボタン押され数などをポイント換算し、ポイントが溜まると黄色く輝くマーク。Y!Bサービス開設当初は、訪問者数もカウントされていたっぽい(全記事コメント/TB不可だった私のブログで、1個★がついたから)。
【うっとおしい理由】
「あとどれくらいでレベルアップするんだろ~ → Y!Bに算定基準を聞いてみよ~(カスタマーへメール) → (メール回答受信)こんなテンプレ回答じゃわからんわボケ! → 聞いてよ~Y!Bの態度ってヒドイいんだよ~(記事アップ+コメントチャット)」という虚しい現象がわらわらと勃発するから。というか、「小さな喜びと自己成長」を希求する現代人の深層心理を逆手に取った、おっとろしい罠だから。

◆ランダムブログ機能
【説明】
テンプレートの最上段に常時表示されるボタン。押すとY!B内の別ブログへ、ランダムで飛ばされる。カテゴリーも話題もタイトルすらわからない記事へ飛ばされる、闇鍋ガラポン機能。
【うっとおしい理由】
私の記事が候補になると、普段の十倍強の訪問者が来る。来るのだが。全員失望して即バックしていることをヒシヒシと感じ、私はいたたまれない。ただでさえ動作が重いのになんでこんな機能を付けるのか、Y!Bがやるべきタスクをずらっと並べて優先順位を付けたら「激重トラフィックの根本解決」がアタマで「ランダム機能追加」なんざケツじゃねえのか、ケツの機能を最重要課題よりなんで優先するんじゃ、マルチタスクならともかくシングルタスクでしか動けないくせに、やるべきこととやりたいことを逆さまにするんじゃねえョくどくどくど・・・と私が小一時間、説教たれたくなってしまうから。

Y!Bで「ブログらしからぬ」「問題あり」と疑問を投げかけられている機能は、他にも多々ある。
・訪問者のIDを公衆の面前に晒す訪問者履歴機能(閲覧者のユーザー情報がダダ漏れる)
・ファン登録したY!Bユーザーだけが読めるファン限定書庫機能(閉塞的な環境を作ることは否めない)
・トラックバックとコメントを一体化した「可・不可」ボタン(個別の設定ができない)
・システムバグで丸見えになることがある内緒コメント機能(内緒の意味ない)
・なにしろショボいテンプレート(記事表示枠のサイズ・背景は、全テンプレ共通)
・ユーザーによるカスタマイズ性が限りなくゼロ(リファラすら設置できない)

他にもあるある。あるが、私は「なんてイタいサービスなんだ」と言いたいわけではない。

Y!Bは最後発でリリースされた。これまでの「ブログ」の常識から逸脱した仕様、ということは、Y!Bは【先発サービスが想定しなかったユーザー層】を開拓しようとした、と言える。これは評価されるべき優れた企画だ。機能スペックの高低で既存サービスと競合するより、はるかに賢明だし、ポジティブな発想だと思う(単にショボイ機能は別だが。特殊な機能は評価できる)。
結果、これまでの「ブログ界」から見れば異端児のサービス・異端児のユーザーが生まれたとしても、私は構わないと思う。SNS的なブログサービスがあってもいいし、Webサイト的に利用できるブログサービスがあってもいい(※Y!BはTOP画面に固定ページを据えることができるし、INDEX的に記事リストを表示することができる。Webサイト的なブログ構築を想定したのではないか?というのが、私の感触)
「軽なんて自動車じゃない」と泰然と構えていた某自動車メーカーが、拡大し続けるコンパクト・カー需要を無視できなくなり、どこぞの他メーカーを買収するところまで企業戦略変更を迫られた。「あんなものは」と馬鹿にされた新しいモデルが確実に消費者のニーズを掴み、市場全体を拡大・活性化させることは、ままある。消費者としても喜ばしいことだと思う。
私は「異端児は可能性を秘めている」と考える人間なので、そういう意味で、Y!Bサービスのとんでもなさを楽しんでいる。

ただし。
絶対に不要だ、断固撤去だ、と考えている機能が、ひとつある。

【転載機能】だ。

なぜか。この機能の問題点を挙げればきりがないが、私が糾弾したい動機は、一点だけだ。
この機能が、ユーザーを傷つけるからだ。
ユーザーが無自覚のまま、権利侵害行為に手を染めてしまいかねない機能だからだ。ユーザーが訴訟・損害賠償問題に巻き込まれる可能性が極めて高い。リテラシーの低い若年層は、特に危険だ。【不要な機能】ではない、【有害な機能】だからだ。

顧客に価値を提供し、評価され、そして発展していくべき企業が、
顧客を危険に晒し、さらにその危険性を指摘する顧客の多数の声を無視し続けることなど、私は絶対に許せない。
ユーザーとして、顧客として、なにより一企業人として。

01/25|Y!B 転載機能コメント(6)トラックバック(0)TOP↑
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